私なりの「Call of the Wild」です。
いいのかなぁ?こんな終わり方って。
ある意味、ラストの雰囲気は「Juliet is Bleeding」っぽいですね。
悲しみに沈むベッキオと、言葉をかけられないフレイザー。
ここでは悲しみに沈むフレイザーと声をかけられないコワルスキになってますけれど。
しっかし、私ったら一体何回ベッキオを病院送りにしたら気がすむんだろう?
私の中で潜入捜査って、結構命の危険にさらされているものっていう固定観念があって、
(「レザボアドックス」しかり「インファナルアフェア」しかり…)
ベッキオももしかしたら狙われていたのではないかなぁって思ってしまいまして、それでついこんなことに。
別に彼を死なせるつもりはなくって、フレイザーはレイに、ベッキオにちゃんと気持ちを伝えることが
できるのですけれど、それは続きとなるSIDE-2にて。
それにしても、切ないですよね~。「死んでしまってやり残したことがあるみたいな気持ち」なんて。
訳を頂いて、ベッキオの気持ちもコワルスキの気持ちもすっごくわかってしまって。
切なくて。
一人、両手に花でるんるんのフレイザーに、ちょっと痛い目みてもらいました。
これはそういうお話です。
これを書きながら、私はず~~~とSarah Mclachlanの「Full of Grace」を聞いておりました。
「Call of the Wild」でも使われている、この曲の流れるあのシーン。
私、大好きなんですよ~。
出来れば、私のこの話の中にも登場させたかったんですけれど。
あぁ、思いっきりネタばれしてます。すいませ~ん。
ということで、暗い話で、本当に申し訳ありませんでした。
こんなものでも気に入っていただけましたら嬉しいです。
Voice in the Heart SIDE‐1
あの事件が解決してから、もう一週間がたとうとしていた。
コワルスキはどうも落ち着かなかった。
前と同じように車の助手席にはフレイザーが乗っていて、前と同じようにフレイザーの持ち込むトラブルに巻き込まれ、狼と一緒にシカゴの街を走り回っている。
違うのは自分の名前を皆、コワルスキと呼ぶことだけ、そしてあの男。
本物のレイ・ベッキオの存在だけだった。
コワルスキにもわかっていたはずだった。自分は潜入捜査でラスベガスに行ったベッキオの代わりに、彼の代役を務めるためにここにいるのだと。それはベッキオが帰ってきた時点で終了になる。
全て承知で飲んだ任務だったはずだ。
違ったのは、ベッキオでいることがとても居心地が良かったということ。
ベッキオに彼の生活を返すべきなのは先刻承知している。
しかし、どうしてもコワルスキは素直にそうできなかった。
まるで自分がこの世から消え去ってしまうような気がする。自分の存在がごみのように、無駄なものに思えてしまう。
今はまだいい。
ベッキオは傷が治るまで自宅療養中で、復職したわけではなかった。
まだベッキオでいられる。それが自分のわがままだとわかっていても、このままベッキオが来なければいいと思ってしまう。そんな考えが、自分でもいやだった。
コワルスキは小さくため息をついた。
「レイ?」
フレイザーが敏感にそれに気づいて声をかける。
「なんだ?フレイズ。」
「どうした?ため息なんかついて。」
「なんでもね。」
「本当に?」
こいつのこのしつこい性格、なんとかならないのか?
コワルスキは心の中で愚痴た。
「なんでもねって、本当に。もう聞くな。」
「ごめん。」
んでもって、こいつは何でこんなに素直なんだよ。
またうんざりして天を仰ぐ。
「今日、レイが…。あ、ベッキオが食事に誘ってくれているんだけど、君も一緒にこないかい?」
ベッキオか。その名前を、今一番聞きたくないんだけどな。
口には出せない思いが心を支配する。
「遠慮しとく。」
「別にレイは、あ、ベッキオは何も言わないと思うけど。」
「そうか?そうとは思えないけどな…。」
「どういう意味?」
「なぁ、フレイズ、お前、本当に何も気づいていないのか?」
「だから、何を?」
子供のようなフレイザーの表情にコワルスキはがっくりと肩を落とした。
何を言っても無駄のようだ。
「もういいよ。」
「あぁ。…そうだ、今度アパートを借りようと思うんだ。いつまでも領事館のオフィスに寝起きするんじゃけじめがつかないからね。部屋を探すの、手伝ってくれないか?」
「俺じゃなく、あいつに言えよ。どうせ今仕事さぼってて暇にしてるんだろう?」
適当にあしらう。しかしコワルスキは自分に先に相談してくれたことが嬉しかった。それを悟られないように、わざと突き放したように言い放つ。
「そうか。忙しいよね。そうだね、レイに、あ、ベッキオに頼んでみるよ。」
わざわざ言い直さなくてもいいのに…。
また心の中で呟く。
こいつに何も言えなくなるなんて、思ってもみなかった。
コワルスキは領事館でフレイザーを降ろすと、ほっと息を吐いた。
もう、あのどこまで本気なのか、人の気持ちを全くわかっていないだけなのか検討もつかない鋭い質問を浴びなくても済む。
コワルスキはGTOのアクセルを吹かし、カーステレオのボリュームを一杯に上げた。
ベッキオがシカゴに帰ってきてから、おかしくなった。
いつかその日がくることはわかっていたはずだったのに、あまりにも急だったせいで、コワルスキの思惑は大きく外れてしまった。
それに、あの時のフレイザーの笑顔。
コワルスキの心を不安にさせるのはあのフレイザーの笑顔だった。
25階までの階段を駆け上ったのに、少しも息を切らさず、フレイザーはドアの前に立っていた。そして、ドアが開き、その人物を見た途端、フレイザーは輝くような笑顔で言った。
「レイ!」
その顔はまるで迷子の子供が母親と会えたときのようだった。いや、もしかしたら長年離れていた恋人が再会したとき、あんな顔をするのかもしれない。
恋人?やめてくれ、気持ち悪い。
しかし、コワルスキはそのときのフレイザーの様子、そして会いたかったといって抱き合った二人の様子に、友情以上のものを感じてしまった。
初めて見た本物のレイ・ベッキオ。
フレイザーの口から何度となく噂を聞いた。いつもフレイザーはベッキオとの話題を、本当に嬉しそうに話していたことを急に思い出し、コワルスキは焦った。
フレイザーが何を言ってもどうしてもこいつは好きになれない。
彼の態度は自信に満ちており、何もかもわかっているようだった。
頑なにコワルスキはベッキオを嫌おうとした。
ベッキオは帰ってくると早々に元の生活を取り戻そうとした。
コワルスキにはそれが気に食わなかった。
心の中が混乱してくる。自分は一体何だ?お払い箱だとはっきりそう告げられているような気分。
ベッキオが大きな仕事をしているのはわかる。国境を越えた犯罪を根絶やしに出来る、そのための1年だった。
ベッキオが持ち込んだ事件の足がかりに署内が浮き立つ。ウェルシュ警部補もベッキオに一目置いて、彼を自分の側に置こうとしている。
コワルスキは完全に部外者になってしまった。居場所がなくなってしまう。
ベッキオに机の上を勝手にかき乱され、完全に頭にきてしまい、書類をぶちまけると、ベッキオに殴りかかった。
フランチェスカに止められ、自分がいかに馬鹿な真似をしているのか改めて気づかされ、がっくりと机に腰を下ろす。
ベッキオが何か慰めの言葉を捜して口をひらく。
「あぁ、いいって。ただ、その、あんまり急だったからさ。帰ってくるって知ってはいたけど、こんなにすぐとは思ってなかったから。」
「わかるぜ。死んじまってやり残したことがあるみたいな気がするんだろ。俺がここを出たときもそんな気がしたよ。」
そのベッキオの言葉にコワルスキは胸を突かれた。こいつはそんな覚悟で行ったのだろうか?
内心の動揺を悟られないように、何気ない風を装う。
「べガスはどうだった?」
「偽りの生活じゃ、寂しいもんだ…。」
「そうだな…。」
「お前にはフレイザーがいたろ。」
ベッキオの口から改めてそう言われ、コワルスキは自分の立場がベッキオとは違っていたことに気づく。
顔を見あわせ笑ってみても、この憔悴感は消えない。
自分の生活がベッキオに乗っ取られるような気分になる。
フレイザーか…。この1年の彼との生活が一瞬心を過ぎった。
気持ちの整理ができないまま、コワルスキは毎日を過ごしていた。
ベッキオ家のにぎやかな食卓で、昔のように温かで上手い料理に和んでいると、この1年のことなどなかったような気がしてくる。
ベッキオは以前のままで、変わらずぶっきらぼうでいながら、いつもフレイザーを見守っている。ベッキオとは口に出して言わなくても、心が通じ合えた。彼の前では遠慮なくありのままの自分でいられる。
1年間、フレイザーにその時間は何の意味もなく、まるで別れたのは昨日のような気さえしてしまう。
フレイザーにはわからなかった。ベッキオが本当は何を考え、自分に何を求めていたのか。
ベッキオはわざとフレイザーと、昔のような日常を過ごすようにしていた。なくしてしまった何かを取り戻そうとするように、昔のような馬鹿話を延々と繰り返す。
努めてこの1年間の話題を避けていた。そしてコワルスキの話題も。
フレイザーはきっと気づいていない。ベッキオは確信していた。
自分がどんな思いでいたかなんて、こいつには絶対にわからない。そして、今どんなに1年前に戻りたいと願っているかも。
ベニー、お前の口から聞きたいんだよ。俺がいなくて寂しかったって。
何度そう言いそうになったか。
しかし、いつも言葉を飲み込んで、どうでもいい話題に乗り換えてしまう。
自分が促すのではなく、はっきりとフレイザーの意思で、そう言って欲しかった。
しかし、フレイザーの口からその言葉が出てくることはなかった。
昔のようなふりをするしかなかった。
それがベッキオには胸の傷以上に辛かった。
きっとこいつにはわからないんだろうな。俺のこの胸の痛みなんかさ。そういう奴だよ。昔っから…。
そして無邪気なフレイザーの笑顔につられてベッキオも仕方なく笑ってしまう。
いつまでこうしていればいいんだ?
もう、誰でもいい。この苦しみから俺を解放してくれるのなら。
ベッキオはいつしかそう願うようになっていった。
アパートを探してシカゴの街を走り回った帰り道だった。
もうすっかり日が暮れて、街の明かりが灯りだす。
「ごめん、レイ。病み上がりなのに、一日つき合わせてしまって。」
「気にすんなよ。もうすっかり治ってるよ。どうせ暇なんだ。用事ができてよかったぜ。」
「いつから復帰するつもり?」
「そうだな。もういい加減、うちにこもってるのも飽きてきたし、上のポストも用意してくれるみたいなことも言われたしな。そろそろ仕事が恋しいぜ…。」
「よかった。」
「お前はどうする気だよ。」
「どうって?」
「あのスタンリーの奴と、まだ一緒にやっていくつもりか?」
「彼はパートナーだよ。」
ベッキオが立ち止まった。じゃ、俺は何だ?そう口をついて出そうになる。
「レイ?」
フレイザーが振り返った。心配そうなその表情に、ベッキオは自分がどうしたいのか、何もわからなくなる。
「傷が痛むの?」
「いや…。」
俺は帰ってこないほうがよかったのか?フレイザー。
ベッキオは心の中でそう叫んだ。その声はフレイザーには届かない。
そんな思いを振り払うように軽く頭を振ると、気を取り直し、フレイザーの肩を抱いた。
「なんでもねえよ、行こうか。ママが心配してるぜ。」
子供のようにふざけあう二人の足元を狼も一緒になってじゃれてゆく。
しかしベッキオの心は晴れなかった。
ふとフレイザーは足を止めた。何かを見つめたまま、固まってしまう。
「どうした、ベニー?」
フレイザーの視線の先に、コワルスキが立ち尽くしていた。
「よう、スタンリー。」
ベッキオが彼をからかうように声をかけた。
その瞬間、コワルスキは泣きそうに顔をゆがませると、踵を返し、走り去っていった。
「なんだ?あいつ…。」
「レイ、彼の様子を見に行ってくる。また明日電話するよ。」
フレイザーはそう言うと、足早にその場を離れた。
「待てよ、ベニー。」
思わず声をかけてしまう。
「レイ、彼のあの顔を見ただろう。放ってはおけないよ。」
「ベニー、じゃあ俺は?俺は放っておいてもいいってのか?」
「レイ?何を言ってるんだい?」
ベッキオは苛立って、フレイザーの前に立ちはだかる。
「ベニー、お前はそりゃいいよな。母親の仇は取れた、俺は帰ってきた。かわいいスタンリー坊やも一緒。何の不安もないんだろう。だけど、俺はな…俺は…。」
フレイザーが不思議そうにベッキオの顔を見つめている。
ベッキオはそんな彼の顔に、何も言えなくなる。
「…いいよ。行ってやれよ。かわいそうなコワルスキを慰めに…さ。」
フレイザーはポンとベッキオの肩を叩いた。
「レイ、明日電話するよ。そのとき話し合おう。」
「何の話だ?もういいって。早くいってやれ。きっと泣いてるぜ。」
フレイザーが微笑んだ。
「レイはそんな奴じゃないよ。」
そう言い残し、フレイザーはもう姿の見えなくなったコワルスキを探して走りだした。
狼が二、三歩フレイザーの後を追い、ベッキオの様子を心配してまた戻ってくる。
慰めるように彼を見上げ、鼻を鳴らした。
「なんだ、慰めてくれるのか?俺の気持ち、わかってくれるのはお前だけだよ。」
ベッキオは跪いて、狼の背中を撫でた。
「いい子だ、ディーフ。お前は絶対に何があってもあいつの側から離れるな。いいな。」
ベッキオの膝に鼻をすりつけていた狼が、大きく一声鳴いた。
「いいから行けよ。俺は大丈夫だから。」
狼はベッキオの言葉を理解したようにぱっと走り出した。フレイザーの去った角でくるりと振り返ると、そのまま姿を消した。
ベッキオはその場に立ち尽くし、いつまでもフレイザーの消えた空間を見つめ続けた。
フレイザーは人ごみの中にコワルスキの後姿を見つけた。
彼に追いつくと、そのまま並んで歩き出す。
「何か用か?」
「レイ、一体どうしたっていうんだ?」
「なんでもないよ。」
顔を覗き込むフレイザーの肩を、うるさいというように押しやると、コワルスキは路地に入った。
並んでいるゴミ缶を思い切り蹴飛ばす。大きな音を立てて、ゴミ缶がころがった。
「くそ!」
コワルスキが階段に腰を下ろした。
そんな彼の姿を、フレイザーは黙って見ていた。
ゆっくりと彼の前に立つ。
「レイ、何でそんなにいらついているのかあてようか?」
コワルスキが顔を上げてフレイザーを見た。
「ベッキオが帰ってきて、自分の居場所を取られるような気がしているんだろう?」
「よくわかるな…。」
フレイザーはやさしく微笑むと、コワルスキの隣に座った。
「レイ、君は僕の大事なパートナーだし、今じゃかけがえのない友人だ。ベッキオが帰ってきたからって君の居場所はなくなったりしないよ。むしろ、今までベッキオとして被っていた仮面を外す時がきただけじゃないか。これからはコワルスキとして、新しい生活を始めればいい。何も変わらないよ。」
コワルスキは、じっとフレイザーの顔を見つめた。
「君の居場所はここだよ。ベッキオとしてではなく、コワルスキとして、本当の自分に戻るだけだ。心配することなんか、何もないんだ。」
「本当に?」
フレイザーが頷いた。
「じゃ、あいつは?」
「レイ?」
「フレイズ、あんたあいつのこと、好きなんだろう?」
フレイザーの目が驚いて見開かれる。やがて、またとないほどの笑顔に変わった。
「そうだね。僕は彼を愛しているよ。」
一番聞きたくない言葉だったのかもしれない。コワルスキの体から力が抜けた。
「やっぱり…。何となくわかってたさ。」
「僕の彼への想いは、愛としか言い様がない。どんなときもレイは僕の側にいた。僕を決して裏切らなかった。そして、僕に何も求めなかった。わかるかい?彼は友情というにはあまりにも大きな愛で、僕を満たしてくれていたんだよ。」
「この1年を除いてな。」
「そうだね。この1年を除いて。」
「どんな気持ちだった?フレイズ。ベッキオのいないこの1年間。」
「君がいたじゃないか。」
コワルスキは驚いたようにフレイザーを見つめてしまう。
「だから僕は耐えられたんだ。」
コワルスキが、ふっと笑った。それがきっかけになり、笑いがこみ上げる。
「俺たちは何も変わらないんだな?」
「そうだよ、レイ。」
「そういや、俺には失うものは何もないもんな。ちょっと安心した。」
フレイザーがまた頷いた。
勢いよく立ち上がると、コワルスキは軽くステップを踏んだ。
「元気出たじゃないか。」
「そうさ。フレイズ。なんか悩んでいたのが嘘みたいだ。新しい生活、だけど、俺はこのまんまさ。それでいいんだよな?」
フレイザーも立ち上がる。
「帰ろうか。」
「送っていってやるよ。フレイズ。お前、歩きなんだろう?」
「そういえば、聞いてなかったな。レイ。こんなところで一体何をしていたんだ?」
「別にあんたらをつけてたわけじゃないぜ。俺にもプライドがあるからな。愛してる…、か。よくそんなことが言えるな。恥ずかしくねえか?」
「どうして?何を恥じることがあるんだい?」
二人の明るい声が路地にこだました。
やがて長く伸びた影も消え、路地はもとの静けさを取り戻した。
携帯の電源を切り、引き出しの奥に仕舞い込む。
ベッキオはすねたような自分の行動に腹立たしさを隠せなかった。
家族に当り散らしてしまう前に、習慣になった散歩に出る。
途中でふと思い立ち、タクシーを止めた。
フレイザーの部屋があった、懐かしいあの場所に立つ。そこはまだ廃墟のままで、1年前の火事の傷痕を微かに漂わせている。
雑な仕切り板をのけると広場と化した真中に立つ。
リヴィエラを乗りつけ、フレイザーのアパートに降り立った。鍵のかかっていないドアを軽くノックして開けると、いつもフレイザーが笑顔で自分を迎えた。
あれは一体いつのことだったのだろう。
フレイザーは自分ではなく、コワルスキを選んだのだろうか?
そんな女々しい思いにふと自嘲気味意に笑ってみる。
俺たちはそんな関係なのか?女みたいに、側にいて欲しいってか?あのフレイザーに俺は何を期待していたんだ?
見上げた空が抜けるように青かった。
そのとき、背後に何かがはじける音が響き、ベッキオが振り返る。
「おい、ブックマン。」
男が拳銃を構えて立っていた。その声にベッキオは自分が油断していたことに気づいた。
時はもう遅く、男の拳銃が火を吹いた。
走り去る男の靴音を遠くに聞きながら、ベッキオは視界一杯に広がる青い空をまぶたに焼き付けた。
ベッキオの携帯にいくら掛けても繋がらない。フレイザーの胸に言い知れぬ不安がよぎり、急いで領事館を後にした。
いつかベッキオが帰ってきたら渡すつもりで、確保していたリヴィエラにフレイザーは乗り込んだ。
危なかしいハンドル捌きでリヴィエラを運転し、ベッキオの家に向かう。
狼が後部座席に丸くなっている。
「そんなに怖がることはないじゃないか。これが普通だろう?」
狼にそういっても、フレイザーの運転はおぼつかなかった。
ようやくベッキオ家にたどり着くと、縁石に乗り上げて止まった。
大きなため息をついて、車から降りるとベッキオ家の呼び鈴を鳴らす。
フランチェスカがドアを開けた。
「あら、ベントン。何か用?」
「レイはいるかい?」
「いつもの散歩に行ってるんだけど、今日はちょっと遅いわね。どうしたのかしら。そのうち帰ってくるでしょう。入って待ってる?」
「せっかくだけど、もう少し探してみるよ。」
フランチェスカが目ざとくリヴィエラを見つけ、目を丸くした。
「いやだ、ベントン、あれどうしたの?」
「レイのリヴィエラ。帰ってきたら渡そうと思って。」
「まさか、あなた自腹切ったんじゃないでしょうね?いいこと、ベントン。レイを甘やかしちゃだめよ。今だって、どんな生活してたのか知らないけど、甘えちゃってもう鬱陶しいったらないんだから。ちゃんと代金は請求しなさいよ。」
フレイザーが笑った。
「わかったよ、フランチェスカ。」
リヴィエラに乗り込むと、またあの不安が心をよぎる。
フレイザーはハンドルを切ると、リヴィエラを走らせた。
何かに導かれるように無意識に車を西ラシーン221に向けていた。
狼が突然大きな声で吼えた。
フレイザーは慌てて車を止めると狼を下ろす。
激しく吼えながら狼はアパートの焼け跡へと走っていく。
胸の不安が膨れ上がる。
フレイザーも慌てて狼の後を追った。
板を押しのけ、フレイザーがその跡地に見たものは、血に染まって倒れているベッキオの姿だった。
その傍らには狼が項垂れている。
「レイ!」
彼の元に駆け寄ると、跪いてベッキオの体を起こす。
喉に指を当てて脈を診ると、かすかに反応があった。
フレイザーはベッキオの体を抱きあげた。そのまま急いで車に戻り、助手席に彼を横たえる。
「レイ、もう大丈夫だ。すぐに病院に連れていくから。」
傷口にハンカチを当てる。それはすぐに真っ赤に染まった。
フレイザーはアクセルを思い切り踏み込むと、響き渡るクラクションを無視してリヴィエラを走らせた。
フレイザーは項垂れて病院の待合室の椅子に腰掛けていた。
コワルスキは静かに彼の隣に座った。
「僕は遅すぎたんだ。」
フレイザーが低い声で呟いた。
「何が?」
「僕はレイに言わなければならないことがあったのに、それをわかっていたのに、後まわしにした。」
黙ってコワルスキはフレイザーの姿を見つめた。
独り言のようにフレイザーは続けた。
「レイがいなくてどれほど寂しかったか、どれほど彼に側にいて欲しかったか、僕はちゃんとレイに言わなければならなかったのに、僕は、レイが変わらないのに甘えていて…。」
「あいつもちゃんとわかってたさ。」
「レイはずっと何か言いたそうだった。僕は…。」
「大丈夫だよ。ちゃんと言えるさ。」
フレイザーの背中が震えている。コワルスキは慰めるようにフレイザーの背中をやさしく撫でた。
「あいつは大丈夫だよ。フレイズ…。」
フレイザーの唇から押し殺したような嗚咽が漏れる。
フレイザーの背中を撫でながら、コワルスキは心の中で祈った。
ベッキオ、お前のフレイザーが、お前のために泣いてるぜ。絶対に死ぬな。こいつの思いを受け止めてやれよ。せっかく帰ってきたのに、こんな終わり方はないじゃないか。
コワルスキはフレイザーの背中をあやすように撫でていた。
他には何もできず、何か言葉をかけることもできず、コワルスキはただ黙って、フレイザーの背中を撫で続けた。
終わり