感動ある人生

Aug 10, 2013 23:27

心をずっと封鎖してきたことに今気づいた。知らず知らずのうちに愛を信じなくなり、生きていく意味が追われている幻のように、見えてきては消え去る。仏教の教えに対するこの疑問をネットで見た。「人間にとって健全な自己愛が必須である。それを仏教は否定しているのではないか」自分を愛するかに強いて答えれば、しないというだろう、俺は。普通は何を根拠に自分を愛する?自分には愛される価値がある?など混乱が頭をよぎる。

そもそも今の俺に愛できるのは、真実と美しさのような、神秘的かつ崇高な存在しかない。完璧さから遠ざかってきた人間ではない。でもこのような体系化した思想のなかで、どっかを虚しく感じてしまう。人間への愛を必要だと時々思いたくはするが、いったんそう思ったら胸の中が激しく裂け、その傷が死に至るまでには治らない気がする。他人を完全に理解できない、他人にも完全に理解できない一人の人間は、ずっと一人ぼっちでいるほかない。人間同士での愛なんて不可能なことをあきらめるのが賢明なのではないかとでも思っている。

人間を愛できる人間は強くなければならないだろう。不特定なものを目指していくには虚しさに身を晒してしまうからだ。今までの俺にはそんな勇気がないようだが。
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