Пишу статью о переводе. В процессе написания, я использовал стихотворение Роберта Бернса, адресованное г-ну Е., по случаю его перевода и комментариев к Марциалу:
O Thou, whom poesy abhors,
Whom Prose has turned out of doors;
Heard'st thou yon groan? - proceed no further!
'Twas laurell'd Martial calling, Murther!
Шутки ради, перевёл на русский. Это
(
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私は、以前から、ナボコフの自己翻訳に興味があります。
彼は、多くの作品を、まずロシア語で書き、その後自分で英語に翻訳していますね(自己翻訳)。
また、『ロリータ』だけは、英語で書き、その後ロシア語に翻訳しています。
こういうことをしている作家はかなりまれだそうです。
そして面白いのは、彼は英語版とロシア語版を、ただそのまま翻訳したのではなく、彼の表現したいことを同様に表すために、文章表現を時々変えているそうです。
ナボコフの英語版とロシア語版の持つ雰囲気は、同じように表現されているのでしょうか?それとも違った印象がありますか?
私は英語を読む能力もロシア語を読む能力も不十分ですが、アルチョムさんは、どちらの言語で読むことをすすめますか?
私はずっと、英語とロシア語を母国語として使う方に、このことを聞いてみたかったのです。
もしよろしければ、いつかまた、ナボコフの自己翻訳について、ご意見を聞かせていただけませんか?
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コメント有難うございます。
実は、私はナボコフの作品をロシア語だけで読んだことがあります。同時に英語でもロシア語でも読むチャンスは今までありませんでしたが、確かに私も面白いと思います。やはり、このような二ヶ国語の作家がかなりまれです。それに、私が知っている限りでは、ナボコフが自己翻訳した作品は特に多くないです。『ロリータ』しかを思い出せません。
私にとって、自己翻訳が出来る能力、二ヶ国語の能力は魅力的です。両足で二つの文化で居ることは心理、精神などの特別な様子に違いないと思います。
どちらの言語で読むことを進めにくいと思います。勿論、それは亜紀さんによりますね。私は亜紀さんの英語の能力が分からないんですが、亜紀さんがロシア語が上手なのは明らかな事実です。それで、私は亜紀さんがナボコフをロシア語で読めるとは確信しています。それ以外には、亜紀さん自身次第ですね。もし、自信があれば、同時に比較をしながら両方を読んではどうですか?
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そうですね、二カ国語で文学の世界を渡る事ができるのは、きっと常人とは違う、特別な気分でしょう。
私は、大学生の時、アメリカ文学を専攻していて、ナボコフの短編も少しは英語で読みました(卒業論文はFitzgeraldの"Babylone Revisited"についてでした)。
もう何年も英語の文学作品を読んでないので、今読めるかわかりませんが、できたら同時に読んでみたいと思います。
翻訳は本当に面白い世界だと思います。
ちなみに、私の好きな島崎藤村の詩などは、ロシア語ではどんな風に翻訳出来るでしょう?アルチョムさんの感性なら、島崎藤村の美しい日本語をロシア語で表現できるかもしれません。
ロシア人の私の友人に島崎藤村の詩の美しさを伝えたいと思い、翻訳しようとしたことがありましたが、私の能力ではまだ無理でした。もしよろしければ今度手伝っていただけませんか?
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勿論、出来るだけ手伝ってみます。島崎藤村の詩って、どれですか?宜しければ、教えて下さい。私は翻訳がとても好きで、してみれば嬉しいです。今、大学院の為に、池田真理子の「生きがい」という短編話を英語に翻訳しているのです。
では、お返事をお待ちしております。
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島崎藤村の詩の中で私が一番好きなのは、有名な『若菜集』に入っている『相思』という詩です。
ただ、古い日本語で書かれていて、一般的な日本人でも意味を理解するのは難しいです。
まず、オリジナル・テキストと、私が現代語にしたものをメールでお送りしますので、もう少しお待ちいただけますか?
『相思』は、とても美しい詩です。アルチョムさんにも気に入ってもらえると思います。
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お返事、有難うございます。古語ですけど気にしないで下さい。古典文学も古語も勉強したことがあるものですから。なので、古語でも書いてあるのなら、問題はありません。
島崎藤村の『相思』って、これですか?
髪を洗へば紫の
小草《をぐさ》のまへに色みえて
足をあぐれば花鳥《はなどり》の
われに随ふ風情《ふぜい》あり
目にながむれば彩雲《あやぐも》の
まきてはひらく絵巻物
手にとる酒は美酒《うまざけ》の
若き愁《うれひ》をたゝふめり
耳をたつれば歌神《うたがみ》の
きたりて玉《たま》の簫《ふえ》を吹き
口をひらけばうたびとの
一ふしわれはこひうたふ
あゝかくまでにあやしくも
熱きこゝろのわれなれど
われをし君のこひしたふ
その涙にはおよばじな
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三節までは幻想的な美しい描写が続きますが、第4節でふいに筆を変えたように、女性の熱い心情が、たった二行で表現されます。
女性の想いが、こんなに短い言葉で表されているにもかかわらず、ここまで心を打つのは、それまでの三節でまるで絵のような美しい情景がとても効果的に使われているからだと思います。
はじめは、三節までの描写が、作者自身のための描写のように思われるのですが、最後の二行で、この美しい描写がすべて、その女性の心のために語られたものだと分かります。
古い日本語も美しいですが、ロシア語は言語構造の難解さゆえに、微妙なニュアンスをこまかく表せる言語だと思います。
ゆっくりで良いので、言葉のイメージを大切に、アルチョムさんといっしょにロシア語に訳してみたいです。よろしくお願いします。
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時間が掛かって、申し訳ありませんでした。最初の四行目の翻訳をお送りします:
髪を洗へば紫の
小草《をぐさ》のまへに色みえて
足をあぐれば花鳥《はなどり》の
われに随ふ風情《ふぜい》あり
Пурпур вновь вымытых волос твоих,
Средь молодой травы их виден цвет,
Подобно зяблику, легко ступая,
За мной ты семенишь вослед.
この詩が複雑で、これしか出来なかったけど、続ける前にこのバージョンを亜紀さんに見せたかったのです。
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