ヴィゴ・モーテンセン、"Falling"と赤ん坊の頃に森で見つかったことを語る

May 01, 2021 09:02



ひそかに型破りな俳優はバートランド・ラッセルを引用し、監督デビューについて語り、『イースタン・プロミス』のアイコニックなサウナでのファイト・シーンの思い出を語る。

「赤ん坊の頃、2度もベビー・ベッドから這い出したので両親は僕を探さなければならなかった」とヴィゴ・モーテンセンは私に話した。「一度は森の中で犬と一緒にいる僕を見つけたんだ。」

赤ちゃんの頃、見慣れない犬と一緒に森の中をさまよっているのを発見される可能性が最も高い俳優は誰かと私が訊かれれば、モーテンセンはそのリストのトップになるだろう。『ロード・オブ・ザ・リング』のアラゴルン役としてブレイクする前もその後も、モーテンセンはその人生の様々な事実(例えば彼はスペインに住み、自身のインディペンデントな出版社を経営し、詩を書き、スクリーンにあっさりフル・ヌードで現れ、少なくとも2016年まではガラ携を使っていた)に支えられて、静かにエキセントリックなオーラを醸し出している。

モーテンセンと私が1月に話した時、私たちの会話はZoomとeメールで行われた。彼はマドリードの家にいて、背後には積み上げられた本とレインボー・フラッグが見えていた。彼は文章というより、とりとめない柔らかな口調のパラグラフで話し、森の中で動物とうろうろしているところを発見されたというような逸話に時々寄り道する。パンデミックが始まって以来、彼は読書に没頭し、新しい脚本を2つ完成させ(1つは復讐の物語と組み合わさったラブ・ストーリー、もう1つは戦争中の10歳の少女の周囲への見方が変化していく物語)、そして監督デビュー作"Falling"のプロモーションをしている。

2月5日からアメリカで公開される"Falling"は父と息子が父親の人生の黄昏に互いに折り合おうと奮闘する姿を描いた物語だ。ウィリス(ランス・ヘンリクセン)は、ニューヨーク州北部に住む厳格で保守的な年配の農夫で、認知症になり弱ってきている。息子のジョン(モーテンセン)はゲイで、介護するために父親をカリフォルニアに連れて来る。現在のストーリーには2人の辛い過去のシーンが散りばめられる。

モーテンセンは2015年、母親の葬儀から帰る飛行機の中で"Falling"を書き始めた。彼は友人や親戚から聞いた母親についての様々な話について考えていて、素晴らしい短編小説になるのではないかと思った。

「家に帰って数日後、まあひと通り読んでみようと思った。それほど良いものじゃないかもしれないと思ったんだ」と彼は振り返る。「真夜中に目が覚めてアイデアを思いついて書き留める。昨晩書き留めたものは素晴らしいと思う。ところが読んでみると大抵は”う~ん”ということになる。でも読んで思ったんだ。これはかなり面白いぞ」と。

Q:"Falling"にはあなたの人生との類似点がたくさんあります。あなたのお父さんも認知症で亡くなりました。このキャラクターもあなた同様ニューヨーク州北部の厳しい自然の中で育ちました。自伝的要素を取り入れることはあなたにとってカタルシスになりましたか?

A:例えば母親を愛していたとしよう。僕は母を愛してたし今でも愛してるけど、彼女が死んでしまっても存在しているように思える時がある。それからその存在は薄れて行くか、その人がもういない人生に順応して、時々彼女のことを思い出したとしても先に進む方法を見つける。でも僕の場合はそうはならなかった。僕はそのことについて脚本を書いたから。
僕の家族には認知症の人がたくさんいた。義理の父、4人の祖父母のうちの3人、叔母たちや叔父たち。認知症を間近で見てきたんだ。それを探求したかったんだけれど、探求することによって経験が生き続けることになった。ある意味傷口をふさがないようにするものだったけれど、悪い意味じゃない。有意義なことだと思った。

Q:家族の多くが認知症だということですが、認知症は遺伝的に受け継がれます。その事実を知ったことで生き方が変わりましたか?

A:友達にこのことについて話した。「僕が認知症になるのは時間の問題だね」って。友人たちは「そうとは限らないよ。血液検査があって、認知症やアルツハイマーになる遺伝的素因があるかどうか調べられる」と言った。僕は「本当に?君はやったの?」彼は「いやいや、僕は知りたくないよ」と言うので「僕は知りたい」と言って検査を受けた。結果は、信頼できるかどうかわからないけど”あなたには素因があるようには見えません”ということだった。



Q:それは良かったですね。

A:何とも言えないな。人生は予測がつかない。昨年僕らが経験したようにね。
(認知症の介護で)僕は多くのことを学んだよ。どんな人間関係においても柔軟でなければならない。誰かと本当に友達だったら何らかのレベルでその人のために尽くそうとするだろう。認知症の場合はそれがもっと重要だ。例えば30~40年前に亡くなった人とさっきランチを食べたというようなとても奇妙な話をされたら、衝動的に「いや、母さん。彼らはもういないよ」と言いたくなるだろう。でもそれは実際には全く間違ったことなんだ。(母にとって)その人がもう一度死んでしまうことになるから、すごく動揺してしまう。だから「そうかい。それで何を食べたの?」なんて答えることを学ぶんだ。間違いを正すことで誰かの助けになるのかと自問しなければならない。相手に自分と同じように現在を見て欲しいと思っているのは君なんだ。記憶が主観的なものであるなら、全く違うものを見て、違うことを感じている人の現在がなぜ自分のより正しくないと言えるだろう?

Q:この映画が深く掘り下げているテーマの1つに男らしさと、それが伝統的に示されてきた方法と新しい世代が解釈する方法との食い違いがあります。あなたは子供の頃男らしさについてどのようなメッセージを受けとって育ったでしょう?また成長するにつれてどのようにそれを打ち破ったのでしょうか?

A:父はあの年代の典型的な人だった。農場で育ち、14歳の時に家出して別の農場で働き始めた。反抗的で頑固なところがあったが、大恐慌の時代に生まれて第二次大戦を経験した世代の典型のような人だった。ある意味、権威主義的だった。優しかったとしても、父親は一家の稼ぎ手であり、他人には同調せず、物事を最終的に決めるのは彼だ。彼のことは尊敬していた。釣りやキャンプなどアウトドアでのあれこれを教えてくれた。とても小さい頃に乗馬も習った。異性愛者の少年にとって典型的なモデルだったと思う。そして60年代、70年代になると父は時代の変化にあまりうまくついて行けなかった。
両親は僕が11才の時に離婚した。そうなると一方の味方になったりもう片方の味方になったりする。全体像をつかむまで少し時間がかかる。父は僕たちと一緒にいなかったので数年間は理想化されていた。会えないでいると思いが募るなんて言うけど、今思うと父はあまり頻繁に僕たちに会いに来ることはなかった。それで僕はより自立した人間になれたのかもしれない。一種のモデルだったと思う。冒険心があって大胆であることの。

Q:あなたが父親になったことはお父さんとの関係にどう影響しましたか?また逆にお父さんとの関係があなたと息子さんの関係にどう影響したでしょう?

A:あの世代の典型としてもう1つ言えることは、父親は稼ぎ手で家にいないからあまり会うことがないということだ。僕はちょっと違うやり方をしたかった。ヘンリーが生まれた時から僕はすべてに関わるようにした。一番望んでいたのは息子と良くコミュニケーションをとることだった。「良く話し合おう。もしやりたくないのなら、できない理由を説明するし、がっかりさせてしまったらすまないがそういうものなんだよ」というふうに。または彼が正当な理由を思いついた時は僕は考えを変えるかもしれない。それが対話なんだ。
 僕と父との関係に影響を与えたものとしては、よくあることだし"Falling"でも見られるけれど、とても厳しい父親が孫のことは突然溺愛するようになる。まるで無意識に「もう一回チャンスがある」と思ってるみたいに。



Q:デヴィッド・クローネンバーグがウィリスの肛門科医として"Falling"で小さな役を演じています。(いつもと)逆に彼を監督するのはどうでしたか?

A:彼はパーフェクトだったよ。面白かったし、良い経験だった。他の俳優を監督する以上に緊張することもなかった。僕らは友人だから、ある種のプレッシャーは感じなかった。でも面白かったのは、あの日僕らは彼のホームタウンのトロントで撮影していたんだ。だからスタッフは彼がセットに現れた時「お~!」という感じだった。
 その時ランス・ヘンリクセンが(クローネンバーグのことを)知らないとは思ってなかった。あの日、ランスが「彼はとても几帳面だ。とても明確でとても素晴らしい。恐いくらいだ」と言ってたのを覚えてる。今から2か月前に彼から電話が来た。「今、YouTubeで君とドクター・クラウスナーがQ&Aをやってるのを見たぞ。何てこった!あれはクローネンバーグだったのか!」僕が「そうだよ。撮影中あの人がデヴィッド・クローネンバーグだって知らなかったのかい?」と訊いたら彼は「全然!」と答えた。あれは可笑しかったよ。

Q:近いうちにまた一緒に映画を撮る話はしてるんですか?

A:うん、考えてるよ。彼がずっと前に書いたけれど作ることができなかったものだ。今、彼はそれに磨きをかけていて撮影したいと思っている。できれば今年の夏に撮影したい。ストーリーを明かさずに言うと、多分彼は自分の原点にちょっと戻っていると言っていいんじゃないかな。

Q:ボディホラーのようなものでしょうか?

A:うん、とても面白いよ。奇妙なフィルム・ノワールのような物語だ。見る人の不安をかきたてるような、優れたものだと思う。でも原点の頃から彼は明らかに技術的にも監督としての自信の面でも成長してきた。

Q:『イースタン・プロミス』のサウナでの格闘シーンは映画史上最もアイコニックで強烈なシーンの1つです。撮影した時の印象的なできごとを教えて下さい。

A:あのシーンの撮影は、肉体的には苦痛でばつが悪いこともあったけれど、関係者全員にとってエキサイティングな振り付け作業でもあったんだ。複雑なシークエンスと場所を考慮してデヴィッドと彼のチームはとても効率的に撮影をした。翌朝、細部やクローズアップの追加撮影をしたけれど、僕のキャラクターがしてる様々なタトゥーを描くより新しくできた傷や痣を隠すのに時間がかかったよ。

Q:『イースタン・プロミス』の続編が予定されてますが、結局2人とも参加しませんでしたね。

A:続編ができるの?

Q:詳細は不明ですが、ジェイソン・ステイサムが参加するようです。

A:上手く行かなかったんだ。デヴィッドの代弁をすることはできないけどタイミングの問題だったと思う。まあ、製作されることを願ってるし、良い作品になればいいと思うよ。

Q:今年後半にAmazonによるLOTRのリメイク(訳注:リメイクではないです)を見る予定ですか?

A:うん、スペインの(J.A.)バヨナが監督しているんだよね。どんな作品になるか興味がある。ニュージーランドで撮影しているんだ。バヨナは良い監督だから、きっと見る価値があると思うよ。彼らがどんなものを作るか、トールキンをどう解釈するか興味がある。トールキン財団がどのくらい使用を許可したのかは知らないけど。

Q:LOTRが公開された後、あなたはイラク戦争反対の立場を表明して「石油のために血は要らない」と書いたTシャツを公の場で着てました。そのことで右翼から多くの非難を受けましたね。そして2016年にはジル・スタインに投票したことでリベラル派から反感を買いました。双方から批判を受けるのは不条理なことでしょうか?

A:いや、人生はそういうものだよ。世間の注目を集めていれば、好むと好まざるにかかわらず、みんなが君について意見を持っている。今の時代に何も波風を起こさずに話しをするのは難しい。本当かどうかにかかわらず、他人の悪口を言って注目を集めたい人がいるからね。そういうものなんだよ。

Q:あなたはマドリードに拠点を置いてますが、スペインはコロナウィルスへの対処においてアメリカよりはるかに優れています。それ以外にも生活の質が他の点でずっと良いと私は感じています。アメリカに戻ることはあると思いますか?戻るとしても戻らないとしても、その理由は何でしょう?

A:通常、僕は1年の大半をアメリカとスペイン以外の場所で過ごしていたけれどcovidに関する事情で最近は旅行することが難しくなったし、本当に特別な状況を除いては、場合によって(旅行は)違法になる。僕は関係当局から勧告されたり取り決められた必要な制限に注意するようにしてるよ。時には恐怖心や必要性、あるいは政治的信念から国を逃れることを切望する人もいるだろう。でも僕はアメリカの市民で長年アメリカに住んでいて、その風景や歴史、人々に愛着を持ってる。
 どの国や政府が特別だという考えは好きじゃないし、すべての場所や人々は本質的に価値のあるものだから、僕たちはみなどこでも、どの社会でも落ち着ける可能性があると思ってる。哲学者のバートランド・ラッセルが言うように「どの国だって、自らが信じてるほど高潔ではないし、他が思うほど邪悪でもない。」

元の記事はこちらです。
https://www.gq.com/story/viggo-mortensen-falling-interview

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