ヴィゴ・モーテンセン、新作と映画館の神秘について語る。

Feb 14, 2021 10:25



今でも映画『ロード・オブ・ザ・リング』の英雄的なアラゴルンとして観客に最も良く知られているが、俳優ヴィゴ・モーテンセンは映画界でのルネッサンス・マンだという評判がある。

彼は演技し、詩を書き、作曲し、歌い、絵を描き、出版社を経営し、7か国語を話し、脚本を書いて、現在は映画監督として活躍している。そして女性たちは彼の足元にひれ伏す。

彼には会ったことがある。彼とのQ&Aで何度か司会を務めたし、数年前にはロンドン映画祭でマスタークラスを行った。その時彼はアルゼンチン映画『偽りの人生』に出演して全編スペイン語で役を演じていた。

あらゆる種類のファンが彼のところにやって来る。トールキンのオタク、彼が贔屓にしているアルゼンチンのサッカー・チーム、サン・ロレンソ(彼はいつもチームのマフラーやジャージやバッジをつけている。オスカーのレッド・カーペットでも)についておしゃべりしたいサポーター、詩人、カメラマン、実現しそうもない大それた企画を持った学生、様々な言語の脚本を持ったプロデューサーなどだ。

ヴィゴの禅のような落ち着きはそういったものをすべて受け入れ、彼のペースは決して速くならず、彼の声はめったに揺らぐことはない。彼は射るような淡い瞳を開き、確固とした忍耐心を持っている。驚くべき存在であり寛大に時間をさいてくれる。

そんなわけだから彼の監督デビュー作"Falling"について話すため、私はもう30分もズームに再接続しながら待っているのだ。

私は、彼が私の前のジャーナリストと時間をオーバーして話しているに違いないと思った。そしてもちろん私に許されたインタビュー時間もまたオーバーした。広報の女性が時間切れだと言ってズームを中断した時、ヴィゴは彼女に丁重に伝えた。「大丈夫だよ。まだ話すことがたくさんあるんだ。もうちょっと続けるよ。」そして私たちは話し続けた。

時間を延ばしてもらって良かった。ヴィゴの答えは長くて、決して退屈なわけではないが、細部を見逃さない。ピーター・ウィアーが、彼が初めて出演したハリソン・フォード主演の1985年のスリラー『刑事ジョン・ブック 目撃者』の役のため彼にアプローチした日のことについては10分間のモノローグになった。

そして"Falling"で横暴な父親ウィリスの若い頃を演じる『ボルグ対マッケンロー 氷の男と炎の男』のアイスランド人俳優スヴェリル・グドナソンについて尋ねると、ヴィゴがヨーロッパを旅行していた時、1977年のマドリード・オープン・テニス・トーナメントにデンマークのフォト・ジャーナリストになりすまして忍び込み、お気に入りの選手だったビョルン・ボルグに近づいたという長い話を聞くことになった。

「それで僕は他のカメラマン達と一緒にクレイコートのすぐ近くに座っていたんだ。」とヴィゴは回想する。「そしてボルグは決勝でチリの選手に勝ち、僕は選手の椅子に近づき、興奮して”ミスター・ボルグ、ミスター・ボルグ”と呼んだ。彼は僕を見て”君はカメラマンじゃないだろう”って言った。僕は彼が氷のように冷静で、髪は長く、コカ・コーラをカップで飲みながら僕の方に眼を向けている写真を撮った。彼は僕を偽者だと見抜いてたからほとんど微笑んでいた。彼はめったに笑わない人だったけどね。いい写真だったから、1枚彼に送ったんだ。彼はサインと”ありがとう。うまく行ってよかったね。”という言葉を添えて送り返してくれた。まだその写真を持ってるよ。」



1977年マドリード・オープンでのビョルン・ボルグ

"Falling”はこの博識な審美眼の持ち主(彼はこの作品のプロデュース、脚本、スコア、演技、監督をやり、おそらく合間にお茶も淹れてるだろう)に期待されるように美しい映画だが、時として非常につらい作品でもある。父親のウィリスはアルコール依存症と認知症の状態にあり、自分のゲイの息子や過去の結婚、さらには孫の髪の色や鼻ピアスに至るまであらゆる矛先に不愉快な言葉や侮辱を浴びせかける。回想シーンではしばしばウィリスの気分はさらにひどいものとして描かれる。

LAに住むゲイの父親であるヴィゴの短気で年配の農夫の父を見事に演じているのはベテランの性格俳優ランス・ヘンリクセンだ。彼は200本以上の映画に出演しており、その中の多くは私たちが愛情をこめて”ビデオスルー”時代と呼んでいる作品(『殺人魚フライングキラー』『マングラー』 『アウトポスト』そして『HAKAIJU 破壊獣』)だが、『エイリアン』『ターミネーター』『パンプキンヘッド』、キャサリン・ビグローの『ニア・ダーク/月夜の出来事』やジャン・クロード・ヴァンダムの『ハード・ターゲット』といったクラシックと言える作品もたくさんある。

彼はまたアル・パチーノの『狼たちの午後』にも出演しており、陸軍の軍曹や白髪交じりのカウボーイ、傭兵のリーダーといったこれまで演じた役のリストは見事なものだ。しかし80歳にしてすでに多くの人がオスカーにノミネートされると予想しているこの演技にはどれも及ばない。

ヴィゴはこの俳優を自分の父親にキャスティングすることをどこで思いついたのだろう?「彼とはエド・ハリスが監督した『アパルーサの決闘』という西部劇で共演した。僕らは2人でぶらぶらして過ごしたんだけれど、彼の話はとても面白くて一緒にいて楽しい人だった。それでいつかまた一緒に仕事をしようと思っていたんだ。」と彼は話す。「でも彼がこれほど素晴らしいとは思っていなかった。僕が想像していたよりもずっと勇敢で深遠で驚きと衝撃があり、複雑な感情を表現してくれた。」

確かにそれは本当だ。"Falling"のヘンリクセンは素晴らしい。怒りから一瞬にして思い出に心をかき乱され、ほんのひと時穏やかになったかと思うとまた恨みと怒りに戻る。彼の性格は時として恐ろしいが、それでも彼に同情し、彼が隠している痛みを感じることができる。家族が再会した昼食会で、彼が家族のほぼ全員、特に映画の中でヴィゴの夫を演じるテリー・チェンを怒らせていても。



"Falling"は2020年のカンヌ映画祭に選出された。もちろん映画祭は行われなかったが、ともかく映画祭総代表のティエリー・フレモーは上映する予定だった作品を発表した。「デビュー作が選ばれてもちろん興奮したよ。」とモーテンセンは言う。 「でも映画祭がキャンセルされて悲しいのは、ランスがあそこで約束されていた素晴らしい経験をできなかったことだ。長いキャリアの間、彼は一度もカンヌのようなレッドカーペットを体験したことがないんだ。彼がふさわしい賞賛を受けるのを見たかったよ。」

映画はヴィゴ自身の両親に捧げられており(訳注1:筆者の勘違い?"Falling"はヴィゴの2人の弟チャールズとウォルターに捧げられています)、当然この作品がどれほどパーソナルなものなのかという疑問が起こる。彼は自分の父親はウィリスほど冷酷ではなく、自分と父親との関係はもっと暖かく、スクリーンで見られるような感情的な虐待はなく、もっとコミュニケーションが取れていたと主張している。

「ランスが僕の父の魂を呼び出しているように見える瞬間があった。僕はランスに父について全く話したことがなかったのに。彼を相手役として演じるのはとても難しいと感じた日もあった。僕は素晴らしい俳優たちと沢山の映画に出演してきたけれど、この映画ではこれまでにないほど鳥肌が立つような経験をしたよ。」

アルゼンチン、ニューヨーク、デンマークで育ったモーテンセンは南米、ヨーロッパ、スカンジナビア、アメリカの大部分で終わりない旅人としての人生とキャリアの後、もちろん『ロード・オブ・ザ・リング』を撮影するためにニュージーランドにしばらく滞在したこともあったが、現在はマドリードで女優のアリアドナ・ヒルと暮らしている。

彼は常に政治的な態度を明らかにしており、最近ではカタロニアの独立を支持し、2019年の選挙中LOTRのキャラクター、アラゴルンの画像を宣材に利用したことでスペインのVOX党を非難した。

"Falling"にはライフスタイルとイデオロギーにおける明確な対立がある。モーテンセン自身のキャラクターによって表されるゲイの夫と子供のいる都会的なリベラルと父親によって表される田舎の荒々しい男らしさと。これは政治的な発言として意図されたものなのだろうか?

「それが主なテーマではなかったけれど、"Falling"には共感の欠如や深刻なコミュニケーションの不足が多く見られて、多くの社会で起きていることを反映してるのは確かだ。二極化は僕にはCovid19と同様に制御不能な別の種類のパンデミックのように思える。二極化の方が長く続いているだけだ。」

「トランプは攻撃的な行動を野放しにしているけれど…。 この物語をトランプの時代に設定するのは、ランス・ヘンリクセンが演じるキャラクターとの類似点においてあまりにもあからさまだと感じた。だから観客に物語の設定は2009年の初め、オバマ大統領の最初の任期が始まった頃だと気づいてもらえるといいんだけど。僕が言いたかったのはアメリカ社会の分断は当時すでに明らかだったということだ。もちろん今ほど有害で国際的に評判が悪くはなかったけれど。トランプの常軌を逸した言動と日和見主義な彼の仲間が僕たちの日常の思考から消えた後もずっと、観客が僕の映画の中のキャラクターを覚えていてくれることを願うしかないよ。」

パンデミックにより映画祭で予定されていた"Falling"の上映は制限されざるを得なかったが、いくつかの都市でロックダウンが解除されたことで、映画は今週ようやくイギリスの映画館で公開され(訳注2:この記事は昨年12月にアップされたものです)、ストリーミングでも見られるようになった。モーテンセンは筋金入りのヨーロッパ人であり、国境が変わりつつある今、生まれつきの放浪者および多言語話者としてどのように感じているかを訊かずにはいられない。

「僕は異なった文化の中で育ったから、自分とは違うバックグラウンドに対して自然な好奇心を持ってる。」と彼は言う。「だからいつも精神的・肉体的に旅行したいという衝動に駆られるのだと思う。あらゆる芸術的な手段を使って様々な視点から風景や人々を見てみたい。言語や国境は人々が自分たちの物語を語るのを妨げるものではないし、良い物語を語らずにおくことはできないと信じてる。」

しかしヨーロッパ中で映画館が脅威にさらされてるため、作品を上映する場所が少なくなるかもしれない。彼は常に永遠の楽観主義者のようだが、それは気にならないのだろうか?

「映画館が完全に消えることはないよ。」と彼は自信を持って言う。「僕みたいに映画館と言う”儀式”を愛する人が必ずいるだろう。同じスリルと経験を求める見ず知らずの人たちと暗がりの中で一緒に座りながら素晴らしい物語に心を奪われることほど期待感と神秘に満ちたものはないよ。」

映画館のことを考えるのはモーテンセンにはほとんどプルースト的な引き金となる効果がある。"Falling"は彼の母親に捧げられていて(訳注1参照)両親は2人とも認知症を患って介護を必要としていたのだが、彼は母親と一緒に大きな映画館に行った子供の頃の長い思い出話を語り始めた。その気になれば彼の話を止めることもできたのかもしれないが…。

「母は僕が3歳の時、初めてブエノスアイレスの映画館に連れて行ってくれた。」と彼は振り返る。「2人だけで定期的に映画を見に行っていた。4歳の時に『アラビアのロレンス』に行き、それから『ベン・ハー』や『三ばか大将』を見たのを覚えている。『ドクトル・ジバゴ』や『マイ・フェア・レディ』『わが命つきるとも』にも連れて行ってくれた。『ラ・カレシータ』のようなアルゼンチン映画もたくさん。」

「実のところ僕たちは母が80代前半になるまで一緒に映画を見続けていた。母が認知症を発症して見に行くのが難しくなるまで。僕は後になって気づいたんだけれど、母が人と違っていたのは、映画を見た後、僕が小さい頃から映画のストーリーとそれが意味することについて僕に話してくれたことだ。だからそういった映画館は僕に母とそこで見た素晴らしい映画を思い出させるんだ。僕は"Falling"の脚本を書き、映画を製作している間、それについて良く考えた。」

「アルゼンチンの映画館は2000席ぐらいあって、多くはラヴァッレという1本の通り沿いにあった。アンバサダー、ルクソール、モニュメンタル、パリ。最後にその通りに行った時、モニュメンタルだけが残っていた。でもこういった映画館での経験は忘れられない。僕の映画をあそこで上映できたらとても感慨深いと思うよ。」

元の記事はこちらです。
https://www.theneweuropean.co.uk/brexit-news/viggo-mortensen-on-his-new-film-falling-6600082

下記でこの記事の取材時と思われる会話をポッドキャストで聴けます(ヴィゴは前半に登場。上記の記事にはない話がほとんどです)。
映画『ボルグ対マッケンロー』をヴィゴに見に行くよう薦めたのはアリアドナさんだったそうです。
ボルグを演じたスヴェリル・グドナソンを見て、どことは上手く説明できないけれど俳優としてヴィゴを思わせるところがあると彼女から聞いて、ヴィゴはすぐ次の上映を見に行ったんだとか。他にロックダウン中に見た映画のことなども話しています。
https://podcasts.apple.com/gb/podcast/viggo-mortensen-and-ashley-madekwe/id1522528393?i=1000500319110

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