A quick note as I finally got to watch the movie "Cirque du Freak: The Vampire's Assistant" based on the original novel by Darren Shan. I'll revise this post in English after I finish organizing my thoughts, hopefully.
というわけで、今ごろ見に行きましたよ映画版「ダレン・シャン」。
まあ原作ファンとしては言うまでもなくがっかりイリュージョンなわけですが、ただまあ覚悟してたより壊滅的でもなかったのが救いというところでしょうか。というか映画観る前はマジ勘弁してくれと思ってたあのクレプスリーの容姿も、実際は思ったほど気にならなかったです。というか、キャラクターの見かけにいちいちケチつける気にならないくらいに脚本がどうにもこうにも状態だったというところ。
一番のがっかりポイントは、「ダレンとスティーブがお互いを『親友』と言うわりに、まったくそのように感じられない」こと。主人公が「親友のために自分の命を捨てる」決心をすることこそがこの物語の肝であり、信憑性を持たせなければいけない最重要ポイントなのに、画面の描写からはダレンがそこまでスティーブを大切な存在と思っていた様子がさっぱり伝わってこないのだ。
というよりも、どうもこの映画、優等生のダレンが抑圧的な両親(今どきこんな陳腐な設定にOKが出るのがすごいな)に対するささやかな反抗として不良の友人・スティーブとのつきあいに解放感を覚えるものの、いささか無軌道なスティーブの言動に振り回され、ゴリ押しされてしぶしぶ従っていた、というふうにしか見えない──し、おそらくこの解釈で間違ってないと思う。
どうにも自分はこのあたり、監督と感覚のズレを感じずにはいられない。思うに監督にとっては、もともとダレンとスティーブの間には不協和音があって、それがバンパイアとバンパニーズという対立種族に分かれることでそれまで抑えていた互いへの不満が表面化し、だからこそ二人は激しく憎み合う運命になったという解釈なのだろう。その点、私はまったく逆だ。私の信じる「ダレン・シャン」という物語では、あのシルク・ド・フリークでの一夜が来るまでダレンとスティーブは真の友情で結ばれていた。本当に心を許した唯一無二の親友だった。だからこそダレンはスティーブのために命を捨てる決意をしたし、スティーブはダレンの裏切りに絶望し、憎悪に囚われ、一生を復讐に捧げる決意をしたのだ。
小説を映画化するにあたって、原作をそのまま忠実になぞれとは言わない。しかし、少なくとも原作としてクレジットしタイトルに冠する以上、ここだけは絶対に変えてはならないという要素は確かに存在するだろう。私にとって、この序盤での二人の無垢の友情がそれだった。曇りのない友情であったからこそ後に生まれる絶望、怒り、苦悩、やりきれなさ──原作がもたらすこうした感情のダイナミズムを拾い上げられないという時点で、もはや製作者側のセンスがどの程度のものか分かるだろう。
たとえば映画ではスティーブが教室の外でダレンを捉まえて授業をサボるよう誘い、ダレンも不承不承従う。校舎の屋上でスティーブは小石を投げて電球を壊し、蜘蛛と戯れるダレンにも投げるよう求める(その際、何のためらいもなくダレンの手の上の蜘蛛を潰す)。言われるまま石を投げて見つかったダレンは、その後両親から大目玉をくらう…。どう見てもただの不良と気の弱いパシリの関係で、二人の間には遺恨が残るようにしか見えない。特に、自分が蜘蛛が好きと知っているのに蜘蛛を潰す相手を、心から「親友」と呼べるだろうか?
[ちょっとだけ妄想タイム・自分だったらこの場面はこうする]── 優等生のダレンは、たまたま誰も見ていないので授業をサボリ、気晴らしに小石を投げると電球に命中。教師に見つかってピンチの場面にスティーブが登場、「やったのは俺」と名乗り出る。日頃から素行の悪いスティーブの言葉を誰もが信じる。その後、懲罰室から出てきたスティーブをこっそり迎えるダレン。スティーブは涼しい顔で、その上「俺は全然好きじゃないけど」とかなんとか、懲罰室で生け捕りにした蜘蛛をダレンに渡したりしてくれる。ダレンもまた感謝の印に、優等生らしく特別に図書館から貸してもらえた犯罪やらオカルトの本をスティーブに手渡したりする。これが結構難解そうな本だがスティーブは余裕の表情。「スティーブってほんとは頭いいのになんで授業に出ないのさ」「俺はいーんだよ。お前はいい大学行って役人にでもなりな、俺は吸血鬼になってお前の十倍長生きするから」──。[妄想タイム終わり]
こんな感じで「秘密の友達」状態を心から楽しんでハイスクールライフを仲良く過ごす二人がその後、袂を分かち、憎しみ合う運命を辿る方が絶対おもしろいだろうに。
感覚のズレという点では、主人公二人の性格設定にもいえる。スティーブに関して言えば、ダレンに裏切られる前も後もまったく違いが生じないくらいに最初っからDQNキャラ扱い。観客の誰もが「こんな奴と親友になりたくねえ」と思ったことだろうし、彼のために自分の命を引き換えにすると言う主人公のモチベーションをさっぱり理解できなかったことだろう。しかしまあスティーブは悪役だからまだまし。主人公のダレンの方が「どこにでもいる16歳」のはずなのに、一部の男友達を「オタクになったから」と見下し、近視眼的な両親に正面から反論しようともせず、また家族が自分の死を悼み悲嘆にくれている時に棺桶の中で平然と携帯ゲームやっていたりと、どうにも感情移入のしようが無いキャラと化している。仮に原作通りの設定なら「運命の息子は二人とも失敗作じゃん」と思わずにはいられない。
また、映画後半になるとストーリーはますます迷走。クレプスリーは思惑通りダレンをハーフバンパイアにはしたのはいいが、いざ手下にしたらその後何をしたいのかクレプスリー本人にもよく分からない感じ。とりあえず都合よくマーロックと、バンパニーズに与し復讐に燃えるスティーブが襲ってくるからいいけど(というかマーロック&パニーズの皆さん、シルク・ド・フリークよりも普通に人間を襲った方がよくないか)、とにかくやることすべてが受動的だ。ダレンの方も、鬱陶しい家族を捨てて刺激的なバンパイアの生活に飛び込んだはずなのに、フリットや棺桶はいいのになぜか人の血を飲むことには抵抗を覚えたりする(この作品でのバンパイアの吸血行為は映画に描かれた通り、すっごい事務的で残虐でもなんでもないんだが)。バンパイアとして生きていく気があるのか無いのか分からない…と思いきや、レベッカの一言であっさり翻意する。映画の設定と噛み合わないなら、最初から原作第2巻のテーマは入れなきゃいいのに。
ついでに言えば、いよいよ長年封印されてきたバンパイアVSバンパニーズの二種族の戦争が始まるぞ~、と思わせぶりに語られるわりに、観る側にはまったくその脅威が伝わってこない。なにしろタイニーが出ずっぱりで最初からラスボス臭全開なのだから。ダレンとスティーブの戦いを小手先で止め、クレプスリーとMr.トールをビビらせ、マーロックをアゴで使って命すら操る。このおっさん一人で人類にとって大脅威だ。原作読んでない人は「吸血種族たちはどっちでもいいからこのタイニーをさっさと始末しろよ!」と思ったことだろう。
まあそんなわけで、映画の最後はダレンがクレプスリーからスピーカー付きのマイ棺桶を贈られてめでたしめでたし…って、これでめでたしとして物語を〆ていいと思っているなら製作者はどうかしてるよ。棺桶を贈るってことは、クレプスリーから一人前のバンパイアとして認められたということなんだろうが、映画でのクレプスリーの生き方とは本人曰く、バンパニーズとの戦争には背を向けてのんびり平和に生きること。弟子のダレンにしてみれば人間としての生活を捨て、家族を失い、友人を敵に回すという犠牲の果てに、結局サーカスの芸人バンパイアの弟子としての平穏な暮らしが始まるぞ、ということになる。これのどこがハッピーなんだ?「これからはバンパニーズとの戦いだ、我が輩と共に行こう」と平和なサーカスに背を向け、人知れぬ戦いに向けて二人で旅立つ方がよっぽど正しいエンディングではないだろうか。
まあ念のため映画でよかったところを挙げておくと、何よりもまずオープニングの影絵調のアニメーションだろう。クレジットをよく見ていなかったのでどこのアニメーションスタジオが担当したのか不明なのだが、本当に素晴らしい出来でこれは嬉しい驚きだった。明らかにこの映画で最も才能を見せつけたスタッフはこのオープニングアニメ担当者だろう。ぜひ他の作品も見たい。
あと映画でよかった場面は、葬儀でダレンの指先の傷に気付いたスティーブがダレンの死体に喰ってかかるところ。取り乱したスティーブに、教師が「悲しいのはお前だけじゃない」と見当違いの慰めをしてるのもいい。ただ、やはりあそこで真相を悟ったからには、当然その後、深夜の墓地でダレンの墓を張り込んでいる場面が必要だったと思う。学校なんか行ってる場合か?
何はともあれ、この映画版「ダレン・シャン」が見事に興行的に成功しないうちに終わり、どう見ても続編が作られそうにないことに心から安堵した。これで同じスタッフで続編が作られたりしたら目もあてられないことになっていただろう。キャラクターの感情について表層的な解釈しかできない本作のスタッフに、カーダやガネンみたいな複雑なキャラクターを描けるとはどうにも思えないからだ。
とはいえ、映画自体は最初からたいした期待もしてなかったので不満もそれほど大きくはないのだが、映画公開に合わせて小学館が連動キャンペーンか何かやってくれると思ったのにそれほどでもなかったことには大・大・大不満ですよ。単なる漫画再編集の総集編が出ただけって何だそりゃ。ここはひとつ日本が誇る田口智子氏と新井隆広先生の二本柱を大フィーチャーしてファンブックとか画集とか特別ムック本とか出してほしかった(自分は特に「トワイライト」のファンじゃないけど、あのゴツボ×リュウジ画ポスター付きムック本はかなりうらやましかったので…)。
あと、おまけで映画で一番カッコよかったキャラをひとつ↓
…まさかクレプよりもガブナーよりもマーロックがカッコいいなんて想像もしてませんでしたよ!トホホ。
もうマーロックっつうかガネンでいいよ、というくらいスリムでかっちょいい。本当、「どうしてこうなった」としか言いようがない映画でしたね、いろんな意味で。