I transcribed Ruki's interview from Tokyo Dome's bible pamphlet. Sorry, I don't know Japanese to translate it, but I thought that it may be easier for someone who does know Japanese to translate it without looking from book to screen/scan to screen. I did my best to spellcheck all the kana, but remember I don't know Japanese, so I can't tell if I've written the wrong symbol, but I have done my best to make sure it's correct. ^^
Tokyo Dome Pamphlet
Part 1
RUKI
-PG 1-
I: 今を遡ること、約8年前。 02年03月にthe GazettEは初のライヴを目黒鹿鳴館にて行っています。 当時のライヴは観たことがないのですけれども、 まずはその頃このバンドがどんな雰囲気のライヴを展開していたのか、 ルキくんに教えて頂ければと思います。
R: やっば! マジですか?? いやー、 そういうことはあんまり訊かない方が良いと思いますけど(苦笑)。
I: とはいえ、 the GazettEの歴史を紐解いて行く上ではそのあたりも重要ですのでね。 そもそも、 鹿鳴館で初ライヴをするに至った経緯自体も伺ってみたいです。
R: そこはね、 流れのまんまだったんですよ。 当時、 まだうちらの場合は自力だと鹿嗚館には立てなかったくらいの頃で、 この時は前に所属してた事務所のイべントに参加する、 っていうかたちでの出演だったんです。 そんなんだから、 とにかくあの時はダメでしたよね。 いきなり失敗しまくって、 そこでいろいろ思い知らされたっていうライヴでした。
I: 初ライヴでは、 それもしょうがないことですが。
R: まぁ、 これはでも今に至っても通じてることなんですよ。 ずっとライヴやってなかった状態で、 そこから新しい動きに入る1日目っていうのは今でも大坻失敗しちゃうっていう。 一応やりたいことはやるんだけど、 自分の頭の中で想像してたことと、 現実が違ったみたいなことが起こりがちというか。
I: 理想と現実の間に生まれるギャップに悩まされる、 ということは確かに良くあります。
R: しかも、 理想とはいってもこのバンドを始めたばかりの頃はそこまでコンセプトとかも固まってなくて。 むしろ前にやっていたバンドの方が世界観とかはカッチリあったくらいですから。 今思うと、 あの頃はまずバンドとしてナンパでしょうがなかったですもん。 多分見るからにチャラチャラしてたし、 普通に周りで流行ってたようなバンドたちと大して変わんないような格好してやってましたよ。
I: その頃のルキくんは、 一体どんなステージングを?
R: そんなのもう、 クソの一言ですよ。 (苦笑)
I: とりあえず、 先ほどからポジティヴな話がまだひとつも出て来ていませんねぇ。 (苦笑)
R: だって、 当時はまだ(ドラマーから)ヴォーカルに転向してまだ間も無かった頃ですからね。 初ライヴの時で、 やっと4本目とかだったんじゃないかな。
I: それは凄い。 つまり、 実はthe GazettEって最初は見切り発車状態で始まったバンドだったんですか?!
R: うん、 完全に。 その時は自分がどうなりたいかも見えてなかったし、 歌詞も 「別れ道」 (02年6月発表) を出すまでは自分では書いたことなかったし、 バンドとしてどうこうっていう以前に、 俺の場合は自分のことも全く把握出来てなかったですから。
I: なるほど。 詞を書いていなかったとなると、 曲を歌うにしてもどこか借りてきた言葉をなぞっているような感覚だったりして?
R: それはありました。 あとは、 自分で書き出してからも今度は詞の書き方っていうものが分かんないんですよね。 書きたいことをちゃんとまとめられなくて、 ムダに長くなっちゃったり、 音と上手くハマんなかったり。 ヴォーカリストとしての姿势がちゃんとなってない分、 あの頃はバンド全体のことばかり考えるっていう方に、 無意識のうちに逃げてたんですよね。 フロントに立つ人間として突き詰めるべきことを、全然考えてなかった。 ローディー経験もないから知識もないし、 今思うと 「そりゃ売れないのも分かるわ」 っていう要素満載みたいな。 (笑)
I: MCは、 当時どんなトーンでやっていたのですか。
R: またこれがMCとかもグダグダでねぇ。 加減が分かってなかったせいで、 やたら長くしゃべり続けてましたよ(笑)。 まさに、 よく見る ”つまんないMC” の典型。
I: 盛り上がりもなく、 オチもない的な(苦笑)
R: そうそう。 そのうち、 これはいくらなんでもナシだろうって自分で思って、 逆に一切MC入れなくなった時期もありましたけど。 というか、 それ以前にその頃はライヴのセットリストとか当日になってサラサラーって決めてましたもんね。
I: あらかじめ決めておこうよ、 というメンバーは誰もいなかったのですか??
R: いなかったんですよ、 全く。 ローディ経験がないバンドはこれだから困りますとね (笑).
I: 今のルキくんから、 その時のルキくんに向けて何か言葉をかけてあげるとするなら、 何と言いたいです?
R: そりゃまずは、 「おい、 いろいろ間違ってるぞ!」 ってことでしょう (笑)。 その時点でそういう風に諭されてたら、 もうちょっと早く自分なりの方向性が定まってたかな?
I: その後、 the GazettEは02年秋に初ワンマンラヴも経験することになるわけですけれど、 ルキくんが思うに自分自身の中でその方向性が定まってきたと感じたのは、 大体どのタイミングあたりからだったのでしょう?
R: となると...やっぱ戒が入ってからですよね。
I: あれが、 03年1月でしたか。
R: そう。 ちょうどその頃には事務所を移籍したっていうのも大きくて、 自分たちの意識的なことだけじゃなく、 環境的な面でも状況が整ったっていう意味で変化があった頃ですね。 そこからだんだんとライヴのやり方も変わって行って、 動員もやっとその頃から増え始めるんです。
I: 参考までに、 このバンドとしての最低動員数ってどのくらいだったのでしょう。
R: 最低は6人。 それ以外でも、 最初の方は10人前後とか20人いかないとか普通でした。
I: 動員面で、 弾みがつきだしたのは何が切っ掛けだったかは覚えています?
R: 目に見えるくらい増えたっていうのは、 餞ハナむケ。 っていうバンドと2マンでシアー廻った時のファイナルでしたね。 それまで40人くらいだったのが、 いきなり200人くらいに増えたんですよ。 で、 そこからは動員的にはどんどん増えて行きました。
I: 動員が増えて行くと、 自然とステージンゲに対する責任感や使命感も増していったりしそうですよね。
R: それはありましたね。 よりそのことを自分でもちゃんと自覚出来るようになったのは、 初めてのAX(04年1月の[【東京裁判】 ~JUDGEMENT DAY~])をやった辺りだったと思います。 初めて干人単位の人たちを前にして、 セットとかもちゃんと組んでもらって、 というライヴをやったことで明らかにライヴに対するスタソスは変わりました。
I: 都合、 戒くんが加入して現体制になってから1年くらいの時間がかかったわけですね。
R: かかっちゃいましたね。 結果的に。 ここまでが第1段階目だっなとすると、 ここからさらに第2段階、 第3段階っていうかたちで、 ちょっとずつ進歩してくんですよ。
-PG 2-
I: ちなみに、 その第1段階を経過する頃には、 お客さんたちとのコミュニターションの取り方、 距離感などもある程度は確立されていたのですか。
R: いや、 そこはまだ今とはかなり違いました。 昔の方が、 ファンとメンバーっていう線引きがハッキリしてて距離感があったし、 ー体感とかもそこまで求めてるような感覚も無かったです。 そこを気にするほどの余裕が無かった、 とも言えるんですけど。 …うん、 そういう余裕が無かったっていうのがほんとのとこだな。
I: ちなみに、 04年4月にはバンド上初のフンマンツァー [大日本異端芸者的全国巡礼単独公演 【平成挽歌】] を行っていますけれども、 こちらに関しては何かしら記憶は残っています?
R: 正直、 良かったか悪かったかっていうことはあまりちゃんと覚えてないでつが、 とにかくこの初ツアーは喉を良く潰してました。 ワンマンをそんな何本もなんてやったことなかったから、 ペース配分とかバランス感覚もまるで分かんないんですよ。 1本ライヴ終わるたびに2日くらいは声でない、みたいな事の連続でした。
I: 身を削りに削ってのツアーだったのですね。
R: ツアーやるには体力が要るもんだとか、 そんなことさえ分かってなかったですからねぇ (苦笑)。
I: さては、 ファイナルで初の渋谷O-EAST公演を迎えた頃には満身創痍状態になっていたのではありません? しかもこれ、 2デイズだったのですとね。
R: 疲れてましたね、 非常に。 また、 この時は装が淒かったんですよ。 エナメルの着物でしたから。 暑いし、 硬いし、 ライヴやりにくいったらなかった(笑)。
I: それこそ大日本端芸者っぼさは、 その装によって存分に醸し出されていたのでしょうけれどね。
R: まぁでも、 そういう衣装選びひとつをとってみても 「まだまだ分かってねーな」 っていう状態が、 この後もさらにまた続いてくわけですよ。 長い話でしょ?
I: それだけの細かな積み重ね、 トライ&エラーを繰り返しながら、 このバンドは進んで来たのですね。
R: 結局、 バンドにちゃんとした力がないと周りを説得することも出来ないし、 おカネだって掛けられる額は限られて来るわけじゃないですか。 そういう意味で言えば、 the GazettEっていうものが確固たるかたちでライヴ出来るようになったのは、 もっと後々の話になるんですよ。 それこそ、 武道館とかを出来るようになったくらいからだったんじゃない?
I: そるまでの間に、 日比谷音やら、 渋谷会堂やれ、 東京際フォーラムといった数々の大舞台も制覇していったことになりますけれど、 これぞthe GazettEというライヴが出来るようになった期というと、 そこまで話は飛びますか。
R: うん。 もちろん、 野音とかやってな段階でもこうありたいっていう気持ちはありましたけどね。 でも、 到底理想には程遠かったです。 経験値自体が少なかった、 っていうのも致命的でしたよ。 たとうば、 野音の時なんかは2目で穾然ギターアンプが飛んで、 音が止まっちゃったんですけど、 そこでMCで繋がなきゃいけなかったりとか。 そういうトラブルも含めで、 場数を踏んでくことでやっと成長出来たっていう面が多々あるんです。
I: 意外ですね。第三者的には、 野音以降のthe GazettEは何しろ飛ぶ烏を落とす勢いそのままという象でしたので。
R: 渋公2デイズなんかに関しては、 そういうことを周りでやってる人たちっていなかったし、 それも埋るわけないって周りも自分たちも思ってたものを即完させたっていう意味では、 やっぱ手応えはきっとあったんでしょうね。 自分たち自身で「うちのバンド、 今すげーキテる!」的なものは特に無かったにせよ。
I: 本人たちは、 冷静だったのですね。
R: っていうよりも、 常にそこから先っていうのをまず見ちゃうんですよ。 ここやったら次はこうだろうとか、 今ならここは周りは誰もやってないとか、 そっちの方が気になっちゃう。 要は、 今年ドームやろう! って決めたのもそういうことでしたからね。
<b>I: ところで。 ルキくんは冒頭で、 もともとドラマーからヴォーカリストに鞍替えしたばかりのところから、 このバンドを始めたと言っていましたよね。 そうなると、 きっとルキくんは他のパートのメンバーよりも、 -層沢山の壁にぶち当たってきたのではないかと思います。 そうした埸合、 ここまでどうやってその壁を乗り越えてきたのですか?
R: 壁ですか。 そういうものがあったとしても、 俺は全然ヘコんだりっていうことが無かったんですよね。 なんなら、 「歌ヘタだからって何なんだよ」 くらいに思ってたんで(笑)。
I: さすが(笑)
R: 俺の埸合は、 そういう部分でのアンチテーゼとか反抗心? そういうものが、 自分を強く衝き動かしてたような気がする。 もっとも、 今の自分からみたら 「そりゃ逃げだろ」 って思うとこはありますけどね (苦笑)。 そりゃ歌なんて、 上手いに越したことないわけだし。 だけど、 当時の俺としては上手い下手とかの次元を超えたとこで、 フコントマンとしてライヴを盛り上げるっていうことに対する自信を持ってたっていうのも事実です。 っていうか、 そこー点に関しては最初っから自信あったな。 だってほんと、 いろんなことやりましたもん。 イベントで前のバンドのライヴ観て、 「あれより激しく行こう!」 って急遽セットリスト変えたり、 ステージ出た途端に客席にダイヴしたり。 あと、 全員で背広着てパン食いながら出てったこともあったし(笑)。
I: うわー、 バンクですねぇ!
R: だからね、 あくまでもthe GazettEっていうのはCD出してそれが切っ掛けで売れたバンドっていうんじゃなくて、 ライヴやって、 イベント出て、 いろんなとこから客を掻っ攫ってきて、 ライヴやって、 っていうのの繰り返しでここまで大きくなってきたバンドなんですよ。
I: 生粋のライヴバンドである、 ということですよね。
R: そうですね。 多分、 こういうことって口で言わないと分かんないと思うんです。 今のうちらしか知らない子たちとかは、 なんか知らないうちにトントン拍子でここまで上がってきたように思うかもしれないけど、 それなりの経過があって、 なかなかの計算もしながら、 いろんな場面を乗り越えた上で、 ようやくここまで上がっ来てるっていうね。
I: そうした攻めの姿勢を取り続けてきたー方で、 ルキくんはある時期からヴォーカリストとして技術面にもしっかりと磨きをかけるようになりましたよね。
R: そこについては、 渋公2デイズやったり、 ツングルで『reila』を出したあたりがひとつのターニングポイントになりました。 いろいろ人がびっくりするようなことしたり、 誰もやってないことをやるっていうのも良いんだけど、 もっとちゃんと音を聴かせたい、 バンドとしてマトモに音楽で勝負しなきゃ、 っていう気持ちがその時期に強くなってったんです。 人から言わしたら、 「遅せぇーよ!」 ってなりそうでしょ (苦笑)。
I: いやいや、 そんなことはないですよ。 タイミングはどうあれ、 建設的な欲が出るというのは良いことです。
R: いやー。 イマドキだったら、 C.C.Lemon(ホール)やる頃にはどんなバンドでも、 当たり前のようにそのくらいは気付いてることじゃないですか? 俺たち、どんだけ反抗期が長かったんだっていう話ですよね(笑)。
-PG 3-
I: 反抗期ですか。 実に言い得て妙な表現です。 その反抗期的精神こそ、 the GazettEというバンドの基盤にしっかりと根付いているものではないですか。 “らしさ” の根源とでもいいますか。
R: なんだろ? やれるわけない、 とか周りから言われるとついね。 「やってやろうじゃん!」 ってなっちゃうんですよ。 国際フォーラムやった時も、 渋公からって考えたらキャパ倍上げで。 無茶は無茶だったし、 これに関しては完全にはソールド出来ドなかったっていう事実も実際あるんです。 でも、 そこで別に俺らはメゲないんですよ。 その後に今度は、 さらに上の武道館に行っちゃうみたいな(笑)。
I: つくづく、 the GazettEは果敢なバンドだと思います。 やや無謀なところも無いわけではないですが、 ちゃんとギリギリのラインで破綻しないー線は保ちつつ、 飽くなき上昇志向を持ち続けているという点が。
R: ぶっちゃけ、 武道館だってソールドはしてなかったですけど、 でもその次の横浜アリーナではソールドしましたからね。 なんか、 埋まるとか埋まんないとか関係なく、 何時までも “そこ” に立ち止まり続けるのが俺たちはイヤなんです。
I: それに、 どんな大舞台であろうとthe GazettEは毎回きっちりとツブしに掛かりますしね。 あの初の武道館にしても、 ツアー[Nameless Liberty Six Guns…] で得た成果を結実させるべく、 クオリティの高いライヴを展開してくれたことは今でも鮮明に覚えています。
R: あのライヴは、 今思い出しても楽しかったし、 感動も相当大きかったです。 初めてやる場所で、 しょっぱなからプロレス入場っていうのも面白かったし(笑)。
I: ルキくんにとって、 ライヴにおける醍醐味や楽しみというのは、 主にどんなところに集約していると言えるのでしょう。
R: あのね、 意外とここ近年はライヴって俺はやってる時はそこまで超楽しい! っていう感じではないんですよ。 どっちかっていうと、 全編を通して演劇みたいな感覚で表現をしてるっていうスタンスだから、 終わってみて上手くいったらそこで初めて気持ち良かったとか、 楽しかった、 っていう風になることが多いんです。
I: かなりの集中力が問われそうです。
R: いかに1曲目から入り込めるか、 テンツョンを上げられるか、 っていうのは確かに重要ですね。
I: それから、 先ほどルキくんは昔はオーディエンスとー定の距離感があった、 というお話をしていましたよね。 それが現在のように密な関係となり、 驚異的なー体感を生み出すようになったのは、 何が切っ掛けだったか覚えています?
R: それも、 思い返してみると武道館以降だったんじゃないかと思うんですよ。
I: 不思議な話です。 ホール展開、 アリーナ展開になるに連れ、 ファンとの精神的距離が縮まったというのは、 物理的状況と完全に反比例しているわけですものね。
R: 逆に、 っていうね(笑)。 そこは俺たちとしても、 思うとこはあったんですよ。 当然、 武道館だなんだって大きいとこでやるようになれば、 距離的に遠くなって寂しくなるっていう “あっち” の気持ちは分かってたし、 その反面でバンド側の方針としてアソコールは原則的にやんないことにしたっていうのも、 俺たちは予定調和とか無くしたかったんです。 もっとお互い本音でぶつかり合いたいって、 そう思うようになって俺は昔よりも距離が縮まったと思います。 だから、 ここまでにはいろんなこともあったけど、 今ではほんと良い関係だと思うんですよ。 最近だと、 俺が喉つぶした時に皆が歌ってくれたりとかね。 ほんと、 ファンの存在って大切なんだなってつくづく思いましたよ。
I: 単なる "お客様" として扱うのではなく、 あくまで "同志" としてオーディエンスと共にライヴ空間を作り上げて行くという方法論は、 the GazettEというバンドの大きな特徴であり、 最大の武器でもありますものね。
R: そこは俺もそう思ってます。 今でも改善すべき点は一杯あるけど、 周りから何を言われようと、 自分たちのやり方を貫いてきたこの姿勢そのものは、 間違ってなかったなって。 皆と向き合う姿勢は、 これからも変えたくないですね。
I: なお、 貫くと言えばですよ。 今年のthe GazettEは、 再び "THE NAMELESS LIBERTY” の名を掲げてロングアーに出ました。 ひいては、 これが今回のドーム公演 [NAMELESS LIBERTY SIX BULLETS FINAL THE NAMELESS LIBERTY] にも繋がったわけで、この流れには強い意志とこだわりを感じます。
R: 長いツアーって、 バンドを凄い鍛えてくれるんですよ。 4年前に [Nameless LibertySix Guns…] をやった時も、 メチャメチャ辛かったけど武道館に向けての団結感はハンパ無かったし、 ほんとやって良かったと思うんですね。 ただ、 このところ何年かっていうのはあの時ほどの緊張感が無くなっていたというか、 周りからもヘンに祭り上げられてるようなところが出て来たような気がして、 なんかちょっと気持ち悪かった時期があったんですよ。
I: 祭り上げられる、 とはどういうことなのでしょうか??
R: たとえば、 俺たちがなんか意見をひとつバンッ! て出すとするじゃないですか。 そうすると、 それに対して反対意見も何も出て来ないとかね。 メンバーがそう言うなら、 っていうモードで全てが進んでく感じに、 どうも違和感があったんです。
I: 自分たちの意見がスルスル通るだなんて、 第三者的にはそう悪いことのようには思えません。 それに、 前半でルキくんは 「バンドにちゃんとした力がないと周りを説得することも出来ない」 と言っていたではないですか。 バンドに力が備わってくれば、 意見が通るのは自然なことなのではないです?
R: 違うんですよ。 全てを鵜呑みにされちゃうと、 こっちとしては「そっちはどう思ってんの?」ってなるじゃないですか。 ただ俺たちに従うっていうんじゃなく、 皆がどう考えてるのか、 皆はどう思うのかも踏まえた上で、 俺たちは一緒に熱を持ってやって行きたいって思ってたんです。
I: いやはや...the GazettEというのは、 ある意味なかなかメンドくさいバンドかもしれないですね。 スタッフに対しても、 ファンに対しても、 本音の本音でガチにぶつかりあうことを求めてくるバンドなわけですから(笑)。
R: まぁね(笑)。 でも、 そうじゃないと納得行かないし、 全然面白くないんですよ。 出来レースとか、 さっきも言いましたけど予定調和とか、 そんなの前提でやってるバンドなんて意味あります? そんなとこそからは、 良いライヴだって生まれるわけもないです。
I: だとすると、 ルキくんの思う良いライヴとは定義づけるとどんなものになるのですか。
R: まずは、 フォーマット化しないこと。 セットリストとか、 演出の面での決まりごとは多少なりあるにせよ、 取り組むうえでの気持ちは日に日に違うわけですからね。 毎日、 判で押したようにおんなじことを続けてくのがプロだっていうんなら、 ウチらはプロじゃないのかもしれないけど、 工業製品的な均ー感よりも常に生でリアルな感じっていうのを尊重したいんです。 これに関しては、 「そんな考え方はコドモだ」 って仮に誰かに言われたとしても、 俺はコドモのままでいいです(笑)。
-PG 4-
I: か く し て、 今 年 の ツ ア - [NAMELESS LIBERTY SIX BULLETS] も、 悲喜こもごものエピソードをはらみながら、 前半·後半含めてまた実り多きものになったようですね。
R: 途中で俺の喉のことがあったり、 確かにいろいろあったツアーでしたね。 あらゆる意味で、 ”闘った” なっていう感覚が強いです。 バンドとして自分たちもまた成長出来たし、 スタッフとの絆もしっかり結べたし。 時には、 こっちがスタッフを励ましたりしてね(笑)。
I: えっ、 そんなことまで?!
R: 俺たちはほら、 もう何あってもこのツアーをやり切って、 ドームをやる! って腹を決めてるけど、 スタッフの中には不安とか感じる人もいたから。 大丈夫、 絶対やれるから! って。 なんか、 そういう意味じゃより責任感も増しましたよ。 スタッフ、 ファンの皆も含めて一丸となることで、 ここであらためてヴィジュアル系のバンドとしてNo.1であるところを提示したいなって思ったし、 the GazettEっていうバンドに対するプライドを持ちながら、 この看板をいかにもっとテカかしてくかとか、 どう守ってくのかとか、 そういうこともさんざん考えたのが今回のツアーだったなぁ。
I: 途中、 煮詰まったりはしませんでしたか?
R: それは大丈夫。 俺、 寝たら忘れたいことは忘れられるから (笑)。 昔は一回失敗したら次の日が怖いとか、 アイク見るのもイヤとか、 ライヴのこと考えるだけで吐き気がしちゃうとかあったけどね。 今はもう全然。
I: ルキくんは、 タフでポジティヴですよね。
R: いや、 そのくらいポジティヴじゃないと、 きっとバンドってやってくの難しいですよ。 大体、 ネガティヴに考えて落ち込んだとくろで、 バンドに次があるわけじゃないし。
I: それはどういう意味でしょう。
R: ダメだから解散して次、 っていうわけにはいかないっていうこと。 僕ら自身、 自はそういうことを無駄に繰り返してた時もあったけど、 そこからは何も生まれたいし、 the GazettEに関しては解散したいって決めてるから。 うちのメンバーがいまだにずっと仲良いっていうのも、 そういうことを皆でちゃんと話してきたからなんだと思うんですよね。
I: 頼もしいお言葉です。
R: 多分これはファンの皆の方がより敏感だと思うんだけど、 ただ上辺だけで仲良いバンドと、 ほんとにお互い分かりあってるバンドでは、 発する雰囲気もだけど、 音も絶対違ってくるはずですからね。 ウチのバンドに関しては、 そういうとこにも嘘や誤魔化しは一切入れたくないんです。
I: 個人的には、 何時も 「Nausea & Shudder」 で5人がそれぞれにアイコンタクトを取りあうシーンが特に好きなのですが、 あれを見るにつけthe GazettEの絆の強さを感じますよ。
R: あぁ、 あれね (笑)。 あのアイコンタクトは、 最初はやってなかったんだけど、 途中からバンド感をもっと出したいなと思ってやり出したんですよ。 5人でセンターに集まるって、 なかなかないでしょ。 ああいうのは、 仮に今LUNA SEA がそれやったら俺も 「うぉーっ!」 ってなると思うし (笑)。
I: 今回のドーム公演[NAMELESS LIBERTY SIX BULLETS FINAL THE NAMELESS LIBERTY]でも、 おそらく数々の名場面が生まれて来ることになるのでしょうね。
R: ドームですか。 俺は、 まだ皆がそこで観たことのない世界を作り出せるんじゃないかって思ってます。 何も単にドームでやりました、 っていう事実だけが欲しいわけではないですからね。 そんな生半可な気持ちだったらそもドームでやるっていう選択をしてないし、 この場にthe GazettEとして名を刻むっていうことは、 そういうことだと俺は思ってます。
I: ルキくんにとって、 ライヴとは音楽を軸にした総合芸術でもあるのかもしれません。
R: あぁ、 俺はそう思ってます。 当然、 音のみだけでも成立するものではあると思うんですよ。 でも、 それをさらに良いものにする為に最大限の要素を投入して、 そのシチュエーションを活かしながら1コ1コの要素を投入させあって、 アートにして行くのがライヴなんじゃないですかね。 分かりやすく言えば、 サーカスなんかとも近いものありますよ。 何よかソレイユとかね (笑)。
I: 時には、 ギミックも必要であると。
R: エンタテイメントとして考えるなら、 そこも必要不可欠だと思いますよ。 昔はシンプルに自分の生き様を見せる! 的な感じの方がライヴって良いんだと思ってた時もあったけど、 少なくとも今は違うから。 キャリアを積むほどシンプルに見せてくようになってくパターンは多いけど、 ウチはその逆ですね。
I: 数々の柲策も練っていると小耳には挟んでおりますが、 ルキくんの中での今回のドーム公演におけるテーマとは何なのですか?
R: テーマはね、 “やり過ぎ” (笑)。 極端に言うと、 「これ、 もし天井が燃えちゃったら誰が責仼とるんですか?」 っていうレベルの話ばっかりしてますよ。
I: 一方で、 ステージ上の空気を司る人としてのルキくんは、 どんな心持ちでその場に立ちたいと思っています?
R: 俺はもう、 ツアーでやって来たことをそのまま出せればそれがベストなんじゃないかな。 ドームだから何しようっていうのもないし、 広さに合わせて歌わなきゃとか、 そんなのも一切無いです。 どんな場所だろうと、 歌をひとりひとりに伝えて行くっていうことには何ら変わりないですよ。 ただまぁ、 後はやってみないと分かんないとこっていうのもあるかもね (笑)。
I: さて。 ここからは、 このドーム以降についてのヴィジョンについてもお話を伺いたいと思います。 the GazettEは、 この先バンドとしてどう進んで行くことになりますか。
R: 具体的なことは、 とりあえずドームが終わってから決めれば良いかなって思ってるんですよ。 ただ、 ひとつ言えるのは良いアルバムを作る必要性っていうのは、 どうやったって出て来るでしょうね。
I: それはとりもなおさず、 良いアルバムを生み出せなければ、 良いライヴをすることも出来ない、 ということでもあるのですよね?
R: もちろんです。 この間、 照明さんと話してても言われたんですよ。 「やっぱり、 楽曲ありきだよ」 って。 凄いライヴ空間を作るには、 PAさんや照明さんや舞台制作や、 いろんな人たちの力が必要だけど、 その基盤になるのは良い楽曲でしか無いんですよ。 それを皆で力を合わせてライヴの場でやって、 また最高な曲を作ってってそれの繰り返しをしてく意外、 バンドに必要なことってあんまり無いと思います。
I: では、 ヴォーカリストとしての展望として、 ルキくんが 「もっとこうなって行きたい」 と考えていることはありますか?
R: 今も心掛けていることではあるんですけど、 今後はもっと1曲1曲で違う表情を作って行けるヴォーカリストにはなって行きたいですね。 そういう力が増して行けば、 ステージ上で発するオーラとか、 写真に写る時のオーラも自然と濃くなって行くだろうし。 この部分については、 歌って行く限り一生追求し続けてかなきゃならないとこだっていうのは分かってます。 後にも先にも現れない、 圧倒的な存在のバンド、 そしてヴォーカリストになってかないとね。
I don't know whether or not I'll finish the pamphlet.... I'd like to, but it took a LOOONG time to do just this one interview... T-T