Sep 05, 2007 21:18
随分前から日記更新しなきゃなー、とか思いつつ
全く出来ないまま月日を重ねてしまいました。
今ヤフーで切迫流産の妊婦の2割が
最初の搬送先病院いて拒否られる、という記事を見て
懐かしいなぁ・・・と思いつつ
日記を更新する気になりました。
だって 昨年入院したことや出産のこともたいして書かなかったから
今更ですが 書きたいと思います。
当時 どこまで書いたか確認する気がないので
書きたいように書きます。重複している場合は、
そっと見守ってあげてください。
昨年10月17日午後3時過ぎ
(仕事にも慣れ余裕が出てきた時の自分です)
普通どおりの仕事をし 退社までの時間を
まったりくつろいでいると
あぃたたたたた。
お腹が刺すように痛くなり
食べすぎか?!
とか 思いつつ PCに向かっていましたが
丁度トイレに行きたくなって 行くと
自分が出血していることに気付きました。
なんじゃこりゃぁ゛~(;゚Д゚)
とか思いつつ席に戻って
妊娠時 出血 を検察してみると・・・
切迫流産
の文字がたくさんひっかかってきたので
まず流産という文字が入っている時点で
無知な私にも 分からないなりに危機感が湧いてきて
流産しかかっている状態←簡単に書くとですよ。
はぁ?( ゚Д゚)
最近妊娠が分かったと思えば今度は流産しかかってる?!
もぅ 正直意味がわからず
ただただ 黙ってその日は会社を出て
八幡駅に着くなり 親戚の産婦人科に℡。
出血が・・・って言った時点で
向こうも え?!ですよ。
でも 私は、馬鹿なので自分から
今日は安静にしてみて明日起きて異常がなければ
そのまま働きますが 万が一何かあれば
病院に行きます。その時は案内状書いてください。
と 言う内容の電話をして普段どおり
電車に乗って帰宅した私。
今思えば 無敵 いや 単に馬鹿とも言える
一応 Lには出血したけど大丈夫さ、
でも 明日異常があれば病院いかなきゃいけないので
宜しくお願いします、と伝えて就寝。
起きてびっくりですよ。
布団が血の海になていたので。
まず起きて 何で布団がこんなに濡れているんだ?
です(;´Д`)ハァハァ
次の瞬間 会社欠勤決定。
7時過ぎに会社に電話をして事情を説明。
叔父のところにも電話をして
小倉へバビューンと車を走らせ紹介状を書いてもらい
大手町病院へと行きました。
早速ですが診察をしてもらい
切迫流産と診断され あれよあれよと言う間に
入院の話になっていたので
仕事が・・・、と切り出すと←つくづく馬鹿な発言です。
後悔して構わないなら入院しなくて構いませんが
後悔したくないのであれば 今日即入院が無理なら
明日 朝一で入院いてください。
との 言葉に事の重大さを改めて感じました。
でも 私がシロッカー手術(子宮頚管を縛る手術)後
職場に復帰したい意向を伝えると
先生も頑張ります、との返事が来て
早期に職場復帰できるようスケジュールを組んでくれました。
第一印象は、正直怖かったんですが
入院中と手術中、術後と先生と話していく内に
とても 信頼のおける先生だな、と確信しました。
と 同時に入院して良かったな、と。
入院中一番辛かったのが
子宮収縮抑制の点滴
慣れるまで激しい動悸と息切れ、
今まで感じたことのない 胸部への圧迫感。
薬の副作用の一例オンパレードなんですが
これが一番堪えました。
手術は、硬膜外麻酔で
術中は、適度にお喋りをして楽しかったです。
手術が楽しかったですっていうのは
変な表現とは思いますが 貴重な体験をさせていただきました。
11日間の入院をし職場復帰しましたが
点滴の代わりに錠剤を毎日飲むことと
2週間毎に診察という かなりハードな妊娠中期を過ごしました。
入院中に飲み友のYさんがきてくれたり
友人Hさんも来てくれて 今でも感謝しています。
あれから 約10ヶ月が経ちました。
先生のことは 息子を見る度に
感謝の気持ちでいっぱいになります。
先日生後5ヶ月になり
ふと 思うのは、出産時のことで
こんなに大きくなたんだ、って
ほぼ 毎日くらいの勢いで感じています(笑)
私の身を案じてくださった多くの方々に
ありがとう
この言葉しか見つかりません。
心から ありがとう。