おーい でてこーい
作家:星新一
台風が去って、すばらしい青空になった。
都会からあまりはなれていないある村でも、被害があった。村はずれの山に近いところにある小さな社が、がけくずれで流されたのだ。
朝になってそれを知った村人たちは、
「あの社は、いつからあったのだろう」
「なにしろ、ずいぶん昔からあったらしいね」
「さっそく建てなおさなくては、ならないな」
と言いかわしながら、何人かがやってきた。
「ひどくやられたものだ」
「このへんだったかな」
「いや、もうすこしあっちだったようだ」
その時、一人が声を高めた。
「おい、この穴は、いったいなんだい」
みんなが集ってきたところには、直径一メートルぐらいの穴があった。のぞき込んでみたが、なかは暗くてなにも見えない。なにか、地球の中心までつき抜けているように深い感じがした。
「キツネの穴かな」
そのことを言った者があった。
「おーい、でてこーい」
若者は穴にむかって叫んでみたが、底からは名の反響もなかった。彼はつぎに、そばの石ころを拾って投げこもうとした。
「ばちが当たるかもしれないから、やめとけよ」
と老人がとめたが、彼は勢いよく石を投げこんだ。だが、底からはやはり反響がなかった。村人たちは、木を切って縄でむすんで柵をつくり、穴のまわりを囲った。そして、ひとまず村にひきあげた。
「どうしたもんだろう」
「穴の上に、もとのように社を建てようじゃないか」
相談がきまらないまま、一日たった。早くも聞き伝えて、新聞社の自動車がかけつけた。まもなく、学者がやってきた。そして、おれにわからないことはない、といった顔つきで穴の方にむかった。
つづいて、ものすきなやじうまたちが現われ、目のきょろきょろした利権屋みたいなものも、ちらほらみうけられた。駐在所の巡査は、穴に落ちる者があるといけないので、つきっきりで番をした。
新聞記者の一人は、長いひもの先におもりをつけてあなにたらした。ひもは、いくらでも下がって無理に引っぱったら、ひもは穴のふちでちぎれた。
写真機を片手にそれを見ていた記者の一人は、腰にまきつけていた丈夫な綱を、黙ってほどいた。
学者は研究所に連絡して、高性能の拡声器を持ってこさせた。底からの反響を調べようとしたのだ。音をいろいろ変えてみたが、反響はなかった。学者は首をかしげたが、みんなが見つめているので、やめるわけにはいかない。
拡声器を穴にぴったりつけ、音量を最大にして、長いあいだ鳴らしつづけた。地上なら、何十キロと遠くまで達する音だ。だが、穴は平然と音をのみこんだ。
学者も内心は弱ったが、落ち着いたそぶりで音をとめ、もっともらしい口調で言った。
「埋めてしまいなさい」
わからないことは、なくしてしまうのが無難だった。
見物人たちは、なんだこれでおしまいかと言った顔つきで、引きあげようとした。その時、人垣をかきわけて前に出た利権屋の一人が、申し出た。
「その穴を、わたしにください。埋めてあげます」
村長はそれに答えた。
「埋めていただくのはありがたいが、穴をあげるわけにはいかない。そこに、社を建てなくてはならないんだから」
「社なら、あとでわたしがもっと立派なのを、建ててあげます。集会場つきにしましょうか」
村長が答える先に、村の者たちが、
「本当かい。それならもっと村の近くがいい」
「穴をひとつぐらい、あげますよ」
と口々に叫んだので、きまってしまった。もっとも、村長だって、異議はなかった。
その利権屋の約束は、でたらめではなかった。小さいけれど集会場つきの社を、もっと村の近くに建ててくれた。
新しい社で秋祭りの行われたころ、利権屋の設立した穴埋め会社も、穴のそばの小屋で小さな看板をかかげた。
利権屋は、仲間を都会で猛運動させた。すばらしく深い穴がありますよ。学者たちも、少なくとも五千メートルはあると言っています。原子炉のカスなんか捨てるのに、絶好でしょう。
官庁は、許可を与える。原子力発電会社は、争って契約した。村人たちはちょっと心配したが、数千年は絶対に地上に害は出ないと説明され、また、利益の配分をもらうことで、なっとくした。しかも、まもなく都会から村まで、立派な道路が作られたのだ。
トラックは道路を走り、鉛の箱を運んできた。穴の上でふたはあけられ、原子炉のカスは穴のなかに落ちていった。
外務省や防衛庁から、不要になった機密書類箱を捨てにきた。監督についてきた役人たちは、ゴルフのことをはなしあっていた。作業員たちは、指示に従って書類を投げこみながら、パチンコの話をしていた。
穴はいっぱいになるけはいを示さなかった。よっぽど深いのか、それとも、底の方でひろがっているのかもしれないと思われた。穴埋め会社は、少しずつ事業を拡張した。
大学で伝染病の実験に使われた動物の死体も運ばれてきたし、引き取り手のない浮浪者の死体もくわわった。海に捨てるよりいいと、都会の汚物を長いパイプで穴まで導く計画も立った。
穴は都会の住民たちに、安心感を与えた。つぎつぎと生産することばかりに熱心で、あとしまつに頭を使うのは、だれもがいやがっていたのだ。この問題も、穴によって、少しずつ解決していくだろうと思われた。
婚約のきまった女の子は、古い日記を穴に捨てた。かつての恋人とった写真を穴に捨てて、新しい恋愛をはじめる人もいた。警察は、押収した巧妙なにせ札を穴でしまつして安心した。犯罪者たちは、証拠物件を穴に投げこんでほっとした。
穴は捨てたいものは、なんでも引き受けてくれた。穴は、都会の汚れを洗い流してくれ、海や空が以前にくらべて、いくらか澄んできたように見えた。
その空をめざして、新しいビルが、つぎつぎと作られて行った。
ある日、建築中のビルの高い鉄道の上でひと仕事を終えた作業員が、ひと休みしていた。彼は頭の上で、
「おーい、でてこーい」
と叫ぶ声を聞いた。しかし、見上げた空には、なにもなかった。青空がひろがっているだけだった。彼は、気のせいかな、と思った。そして、もとの姿勢にもどった時、声のした方角から、小さな石ころが彼をかすめて落ちていった。
しかし彼は、ますます美しくなってゆく都会のスカイラインをぼんやり眺めていたので、それには気がつかなかった。
終わり。