Thank you Miiko

Jun 04, 2011 01:37

Last Monday, Miiko went to heaven. She was 22 years old.

5月23日、みーこの命日になりました。みーこはそれでも若々しくて丸い顔をしていました。腎臓の数値が悪くなって脱水症状も進んでいたので、動物病院で点滴してきました。それでもすぐそこに死があるとは思わなかった。
日曜日、妹がみーこを病院に連れて行って、抗生物質を注射してもらって、帰ってから下の部屋に下りていったと言っていました。夕食を済ませて妹の部屋に行くと、みーこがいないので、1階に下りるとみーこの声がしました。
和室で心細く鳴いてて、うろうろしていたので、「みーこ?」と呼んでもただ鳴いて宛てもなくよたよた歩いていました。

階段を昇らせようとしたら、落ちそうになったので、抱っこして3階まで上がりました。
「目が見えてないみたい」
「困ったな。トイレとかご飯の場所が分からなかったらかわいそう・・・」
これからそういうことも面倒みていかなければと思いました。昨日まで見えていたのに。。

23日、月曜の朝、妹がみーこを別の病院に連れて行くと言いました。しばらくして「私も行くよ」と言いました。妹が「なんで?」と聞きました。
普段は妹に任せて会社に行くのに、その日は一緒に行きたいと思いました。妹も私の心境を不思議に感じました。今思うと、それは何かのサインだったのかもしれません。
妹のベッドに横たわっているみーこに声を掛けました。
耳が聞えないので大きな声で顔を近づけて呼びました。みーこは起き上がることができませんでした。

病院の先生は、みーこが22歳と聞いて驚きました。20歳を超えた猫は見たことがないと言いました。
病院であずかって点滴をしても良いが、その間に亡くなってしまうかもしれないからと言われ、私たちはみーこを家に連れて帰った。今思うと、先生はわかっていたのかもしれません。

みーこを寝かせて、頭をなでて名前を呼びました。
妹は、これから長い介護が始まると思ったそうだけど、私は みーこもうこれで最後だろうと思いました。それでも、よくなると信じて会社に行きました。妹は会社を休み、みーこのおしっこのシート等を買いに出かけました。
会社で、みーこが亡くなったことを知りました。
仕事しながら涙が出ました。
夕方、すぐに帰って横たわるみーこを見ました。
「寝てるみたいじゃん。みーこ。」と呼んで大声で泣きました。

妹は、午後、自分でも驚くくらい泣いたと言ってました。みーこの健康管理は全部妹がみていたので、「悔いなし!」と言いました。私は、みーこを見ると泣いて、夜 寝るときも電気を消したあとまた電気をつけて、みーこを見て泣きました。
会社では誰にも言いませんでした。日々、私の身体は弱って、目も腫れていたので、皆が心配しました。
妹の同僚が彼女にたくさん励ましの言葉をかけてくれたので、それを聞いて私も慰められました。妹の同僚が、みーこにお供えしてくださいと、猫のご飯のパックを二つくれました。
なんて優しい人たちなんだろう、と、妹と感謝しました。

この時期に遺体を保存するのは不安もありましたが、火葬場が決まるまで毎日必死にみーこの身体を冷やしました。みーこは相変わらず寝ているみたいで、私は涙が止まりませんでした。
家の宗派と同じ日蓮宗のお寺を探して、ペット葬儀をする会社に電話しました。そこに決めるまでの数日間、会社にいて妹と何度もメールのやり取りをしました。
最終的に世田谷区の動物霊園に決めました。
世田谷区は、とても良い環境で、高い波動を感じました。

用意していったオレンジやピンクの花を、みーこの顔の周りに飾ってあげると、葬儀社の人たちがまるでお布団のようにたくさんの花をかけてくれました。お経をあげてもらい、出棺しました。
スタッフの人たちは みんな優しく、丁寧で、私たちに声を掛けてくれました。
悪徳業者がたくさんある中で、奇跡とも思える日になって、みーこを送り出せたことを神さまに感謝しました。

そして、22年間、一緒にいてくれたこと、この世に生まれてくれたことをみーこに感謝しました。
Previous post Next post
Up