Сегодня я читала такую статью в интернете.
------
"Для кого-то" Минору Камата
В больнице была одна женщина, которая заболела серьезный рак. Тогда ей был 42 года, и говорили, что ее остальная жизнь только 3 месяца, наверное, до зимы.
Она очень хотела прожить до весны, чтобы быть на церемонии выпуска ее дочки.
Может быть, ее сильная воля что-нибудь изменила. Она совершила чудо.
Она прожила до весны и она была на церемонии выпуска ее дочки.
На самом деле у нее 2 дочки. Она была на церемонии ее 2 дочки. Она прожила год и 8 месяцев.
Она уже умерла.
После ее смерти, дочки так говорили.
"Когда мама временно возвращалась домой из больницы, она всегда готовила бенто для нас."
Тогда у нее не была та сила, что готовит на кухне, но она так делала.
Ее жизнь была такая короткая, но она подарила ее дочкам что-нибудь важного.
Когда человек думает "для кого-то", надежда к ним придет, и надежда дарит им силу.
------
Надежда дарит человеку силу волю и эта сила что-нибудь изменяет. :)
А я напечатала все предложений на японском. Если вам интересно, прочитайте.
「誰かのために・・・」
僕が看取った患者さんに、スキルス性胃がんに罹った女性の方がいました。
余命3か月と診断され、彼女は諏訪中央病院の緩和ケア病棟にやってきました。
ある日、病室のベランダでお茶を飲みながら話していると、彼女がこう言ったんです。
「先生、助からないのはもう分かっています。だけど、少しだけ長生きをさせてください」
彼女はその時、42歳ですからね。そりゃそうだろうなと思いながらも返事に困って、黙ってお茶を飲んでいた。
すると彼女が、「子供がいる。子供の卒業式まで生きたい。卒業式を母親として見てあげたい」と言うんです。
9月のことでした。彼女はあと3か月、12月くらいまでしか生きられない。
でも私は春まで生きて、子供の卒業式を見てあげたい・・・と。
子供のためにという思いが何かを変えたんだと思います。
奇跡は起きました。春まで生きて、卒業式に出席できた。
こうしたことは科学的にも立証されていて、例えば希望を持って生きている人のほうが、がんと闘ってくれるナチュラルキラー細胞が活性化するという研究も発表されています。
おそらく彼女の場合も、希望が体の中にある見えない3つのシステム、内分泌、自律神経、免疫を活性化させたのではないかと思います。
さらに不思議なことが起きました。
彼女には2人のお子さんがいます。上の子が高校3年で、下の子が高校2年。せめて上の子の卒業式までは生かしてあげたいと僕たちは思っていました。
でも彼女は、余命3か月と言われてから、1年8か月も生きて、2人のお子さんの卒業式を見てあげることができたんです。
そして、1か月ほどして亡くなりました。
彼女が亡くなった後、娘さんが僕のところへやってきて、びっくりするような話をしてくれたんです。
僕たち医師は、子供のために生きたいと言っている彼女の気持ちを大事にしようと思い、彼女の体調が少しよくなると、外出許可を出していました。
「母は家に帰ってくるたびに、私たちにお弁当を作ってくれました」
と娘さんは言いました。
彼女が最後の最後に家へ帰った時、もうその時は立つこともできない状態です。
病院の皆が引き留めたんだけど、そうしても行きたいと。
そこで僕は、「じゃあ家に布団を敷いて、家の空気だけ吸ったら戻っていらっしゃい」と言って送り出しました。
ところがその日、彼女は家で台所に立ちました。
立てるはずのない者が、最後の力を振り絞って、お弁当を作るんですよ。
その時のことを娘さんは、このように話してくれました。
「お母さんが最後に作ってくれたお弁当はおむすびでした。そのおむすびを持って、学校に行きました。
久しぶりのお弁当が嬉しくて、嬉しくて。
昼の時間になって、お弁当を広げて食べようと思ったら、切なくて、切なくて、なかなか手に取ることができませんでした」
お母さんの人生は40年ちょっと、とても短い命でした。
でも、命は長さじゃないんですね。
お母さんはお母さんなりに精いっぱい、必死に生きて、大切なことを子供たちにちゃんとバトンタッチした。
人間は「誰かのために」と思った時に、希望が生まれてくるし、その希望を持つことによって免疫力が高まり、生きる力が湧いてくるのではないかと思います。
-引用-
鎌田 實(諏訪中央病院名誉院長)
(『致知』2012年7月号 より)