デヴィッド・クローネンバーグと彼のミューズ、ヴィゴ・モーテンセンが"Crimes of the Future"と今を生きることについて語る

Oct 20, 2022 08:38

Happy Birthday, Viggo!
今年もお誕生日記念にLJ更新します。長めのインタビューでこれというものが見つからなかったので、あまり長くないものを2つ訳してみました。
まず1つ目はクローネンバーグ監督と一緒の"Crimes of the Future"のインタビューです。
ストーリーの大きなネタバレはありませんが、こういうシーンがあるという記述がありますのでご注意下さい。



多くの作品を撮っているカナダの映画監督デヴィッド・クローネンバーグと長年彼の協力者であるヴィゴ・モーテンセンがよく一緒に仕事をする理由は簡単だ。彼らはユーモアのセンス、穏やかな態度、そして宿命論的な人生観を共有しているのだ。
今週初めにトロントで行われた彼の映画"Crimes of the Future"の北米プレミアに先立って、2人はトロント・スター紙のために、この映画と長年に渡るコラボレーションについて話してくれた。数分もしないうちに2人は強い仲間意識を持っていて、お互いに親しみを込めた言葉を交わしていることがわかった。プロジェクトのたびにこのパートナーシップに惹かれる理由を尋ねると、トロント生まれのクローネンバーグはにっこり笑ってジョークを言った。「年を追って彼(のギャラ)が安くなってきたから。」
カナダのアイコンであるクローネンバーグは、その作品から神経質で暗い人物だと思うかもしれないが、実際の彼は全く逆だ。落ち着いていて冷静、礼儀正しくて辛口のユーモアに驚かされる。
クローネンバーグとモーテンセンはほぼ20年に及ぶ友情と協力関係を築いており、ウィットに富んだやりとりと打ち解けた雰囲気がはっきりわかる。ニューヨーク生まれのモーテンセンはこれまでクローネンバーグの3本の映画に出演してきた。『ヒストリー・オブ・バイオレンス』『イースタン・プロミス』そして『危険なメソッド』だ。
2人がこの前一緒に仕事をしたのは、モーテンセンの監督デビュー作『フォーリング 50年間の想い出』だ。そこでは役割が逆転してクローネンバーグが演技した。「準備は万端だった」と63歳のモーテンセンは監督デビュー作を撮影した時のことを語った。「トロントのクルーは彼がセットに入って来た時、すごく緊張していた。でも彼がとても悪趣味なジョークを言ったので、クルーたちは『ああ、実は間抜けな人なんだ』と気づいたんだ」と彼は冗談を言った。
79歳のクローネンバーグは映画監督として、また友人として2人の間の暗黙の了解についてこう話す。「信じられないかもしれないが私たちはプロフェッショナルだからお互いにNOと言える。私がヴィゴに役をオファーして、彼が自分はこの役にふさわしくないとかピンと来ないと思ったら彼は断ることができなければならないし、私も『彼はもう友人じゃないんだ』と思ってショックを受けることもない。逆もまた然りだ。ヴィゴが私に監督して欲しいプロジェクトや脚本があったとして、やりたくないなら私はNOと言わなければならない。だから私たちはふざけるのを楽しんでいるけれど、敬意とプロ意識があるんだ。」
オスカーに3度ノミネートされたモーテンセンは、クローネンバーグが脚本と監督を務めた"Crimes of the Future"の脚本を初めて読んだ時、「これは本質的には古典的なフィルム・ノワールだね。とても気に入ったよ」と監督に伝えた。



クローネンバーグのボディホラーへの回帰

クローネンバーグは間違いなくボディホラーというジャンルの大御所である(このジャンルは彼のものだと言う人もいる)。それは『シーバーズ』『スキャナーズ』『ヴィデオドローム』といった彼のカルト的な名作で明らかだ。
"Crimes of the Future"はボディホラーの映画作家として巨匠の初期に立ち返った作品だ。この映画のワールドプレミアはカンヌ映画祭で行われて観客から6分間のスタンディングオベーションを受けた。
クリステン・スチュワートとレア・セドゥも出演しているこの作品は、人々の身体が新しい臓器を作り始め、痛みがなくなり、食べ物の代わりにプラスチックが消費される未来を舞台にしている。モーテンセンが演じるパフォーマンス・アーティストのソウルは、身体の中に新しい臓器を作り、パートナーのカプリス(セドゥ)は体内に入ったままその臓器にタトゥを入れ、観客の前でそれを摘出する。
人体は常にクローネンバーグ作品の一貫したテーマであり、彼は映画作家として人体に執着するべきだと考えている。
「私は無神論者だ。来世は信じていないから、この肉体的な存在こそが自分だと受け止めている。私にとって身体がすべての始まりだ。映画作家として何を一番多く撮影する?人体を撮影しているね。それが主題であり、それを通して人間の状態を探求しているんだ。だから私にとって人体に執着していない監督は本当の監督ではない。それが私の見解だ。間違いなくそれが主題なんだ」と率直に話した。 
 モーテンセンも人体について同じように考え、それを死に結びつけて次のようにつけ加えた。「自分の人生や身体に対する見方はみな違っているし、年を取ることや病気とのつきあい方も違っている。極端に落ち込んだり、イライラしたり、怒ったり、憤慨したりしてその状態から抜け出せなくなる人もいる。またイライラしながらも、ユーモアのセンスを持って人生を楽しむ人もいる。」
「自分自身や死ぬまでの旅、そして自分が経験するすべてのことを笑い飛ばすことができなければ、楽しい旅ではなくなってしまうと思う。」 
 クローネンバーグは自分のことを「典型的な実存主義者で人間の生活には不条理があると考えているが、それは人を落ち込ませるようなものではなく、実は笑わせるはずだ。実際には原動力として使うことができるものだ」と考えている。

クローネンバーグは観客にショックを与えたがっているのではない

この映画にはいくつか不快で物議を醸しそうなシーンがある。オープニングのシーンは子供の死が描かれているが、作品は人間性、クリエイティビティ、テクノロジー、そして気候変動に関する社会的な批判になっている。彼のほとんどの映画と同様に"Crimes of the Future"は野心的であると同時に示唆に富み、観客を楽しませて会話のきっかけになる暗い風刺作品だ。クローネンバーグはカンヌでの上映で退場者が出ることを予想していたが、実際に数人が退席した。しかし彼が意図したのは衝撃を与えることではない。
「誰かにショックを与えようとは思っていない。ナイーヴで偽善的に思えるかもしれないが、正直なところ、冒頭の子供の死は...私は父親だし孫が4人いるが、母親が自分の子供を殺すのはショッキングだろうか?単にドラマのように起こりえることに過ぎないのか?そういった話は一日おきに読んでいる。どこかの母親が子どもを溺死させたとか。奇妙で物騒な話しをね。」
「だから私は観客に、このようなアイデア、ビジョン、物語の可能性があり、その中には私を不安にさせるものもあれば、厄介だと思うものもあり、面白いものや挑発的なものもあると言いたいんだ。だから観客に私と一緒に来て、私の反応を分かち合ってもらいたいと思うし、観客も違う反応を示すかもしれない。これは本当に観客とのコラボレーションなんだ」と彼は説明した。



モーテンセンは検閲や弾圧に関するこの映画の解釈が気に入っている。「この物語を最初に読んだ時、フィルム・ノワールだという側面とは別に、検閲というアイデアとそれが映画であれテクノロジーであれ、新しいものを恐れる人々という側面が気に入った。新しいものに飢えている人たちと、また一方ではそれを恐れて自分を守ろうとする人たちの間には緊張関係があるようだ。その緊張は必然的に当局からの抑圧につながる。」 
 イギリス系カナダ人のスコット・スピードマンは、ミステリアスで過激なリーダーとしてこの映画に出演しているが、別のインタビューでこう語っている「これはとても古典的なデヴィッド・クローネンバーグの映画だ。ボディホラー映画で、ただの血みどろの映画じゃない。2人の人間が自分たちを理解しようとするキャラクター重視の映画なんだ。ソウルとカプリスの間のラブ・ストーリーなんだよ。」

恐怖は問題ではない

この映画は創造性とパフォーマンス・アートというテーマを深く、暗く掘り下げている。映画監督やアーティストとして作品を発表する時に何を恐れるかと聞かれてクローネンバーグは「カンヌのレッド・カーペットで転ぶこと」と冗談を言い、一方モーテンセンは自分たちの映画を誰も見に来ないことだとジョークを飛ばした。 
 クローネンバーグは恐怖心はないと言う。「観客が反応しなかったり拒否反応を示したりしても、それは観客との取り引きの一部でしかない。観客との契約の一部であって、あなたが何かを提供し観客はそれに反応したり否定的な反応を示すこともある。でもだからといって恐いと思うことはない。」
 モーテンセンは、この映画には自信があると語る。「心の中であまり良い映画ではないと感じていたら他の人もそう感じるのではないかと心配になる。でもそういうふうには感じていない。この映画が気に入っている。とても良くできていて考えさせられる作品だと思っている。デヴィッドは自分のやりたいこと、それ以上のことをやったと思う。」

クローネンバーグ効果

モーテンセンは以前、クローネンバーグは現在最もユニークな才能を持つ映画監督の1人だと言った。詳しく説明してほしいと言われて彼は「その発言は撤回するよ」と言った。「彼がそう書いたんだ。言ったことを後悔してるよ。」クローネンバーグは笑って「私が彼にそう言わせたんだ」と付け加えた。 
 モーテンセンはクローネンバーグの映画に追加されたレイヤーがファンを惹きつけるだろうと感じている。「観客はその映画が好きかどうかに関係なく、独創的な考え方がされていること、純粋に効果のために彼が映像を見せたり台詞を書いたりしているのではないこと、そしてその下には何かがあって、それを体験するのだということを認識して映画を見ていると思う。映画をもう一度見ればさらに多くのレイヤーが見えてくるとわかっているんだ。」 
 クローネンバーグは"Crimes of the Future"の脚本を1988年に書いたが、最終的にパンデミックの最中にアテネで監督する時になっても脚本にはいっさい手を加えなかった。「脚本は今も変わらず有効で、観客が自分で考える余地を残してくれている」とモーテンセンは言う。「そのような映画監督は多くない。気に入った映画でも2度目、3度目に見た時、もっと興味を持ったり、社会や自分の人生で何が起こっているか考えられるような映画は確かにあまり多くない。」 
 トロントで育ったスピードマンはクローネンバーグを次のように説明する。「今まで一緒に仕事をした中でひそかな自信を一番持っている監督だ。とても穏やかで優しくてとても面白い。いたずらっ子みたいなところがあって、そこが好きだ。映画の内容がどんなに暗くて奇妙でも、セットではそういう楽しい雰囲気を作り出す。神経質な暗い男じゃないんだ。」

クローネンバーグのレガシー

"Crimes of the Future"に出演しているカナダの俳優・映画監督のドン・マッケラーは(クローネンバーグのような)有名な映画監督がいなければ自分もキャリアを追求することはなかっただろうと語る。「彼はカナダでのキャリアの手本だ。」 
クローネンバーグは影響を与えたことは嬉しいが、自分のレガシーについては考えていないという。
「若い映画監督が来て、彼らが映画界に入ったきっかけが私だと言ってくれるのはうれしい。ジュリア・デュクルノーのような人が、自分の映画製作に私が大きな影響を与えたと言ってくれて、去年パルム・ドールを彼女が受賞したことにはとても満足している。素晴らしいことだ。でも正直なところ正真正銘の実存主義者として自分が死んだらどうでもいいと思っている。問題じゃないんだ」と彼は話す。
 昔は彼の監督としての目標の1つは”フェリーニ風の(Felliniesque)"のような形容詞になることだったかもしれない。そこで私は彼に"クローネンバーグ的(Cronenbergian)"ということばを思い出させた。彼はにっこり笑って、"Cronnenburgundian"の方が好きだと言い「うれしいことには違いないが、レガシーに関して目標はないよ」とつけ加えた。 
 クローネンバーグとモーテンセンは2人とも今、この瞬間に集中して未来のことは考えないという意見を持っている。クローネンバーグのマントラはシンプルだ。「今、ここにいること。過去や未来を気にしないで、この瞬間を生きるのは簡単なことではない。今ここにいるのは大変なことだ。」 
モーテンセンはこうつけ加える。「明日死ぬかもしれないという事実は刺激になると思う。ベッドから出て、やる気を出させてくれる。」

2人の次の作品は

このコンビからさらに作品が生まれることは明らかだ。「ヴィゴが役をオファーしてくれるのを期待してるよ」とクローネンバーグは目を輝かせて言った。「今度は西部劇だから乗馬を習わないと。」 
「子供の頃は西部劇ばかり見ていた」と彼はつけ加える。「“ホパロング・キャシディ(訳注:1904年にクラレンス・E・マルフォードによって想像された架空のカウボーイ。1949~51年にかけてテレビ・シリーズが作られた)”から”デュランゴ・キッド(訳注:1940~52年にかけてシリーズが作られた西部劇)”まで私が子供だった40年代と50年代は映画やテレビ・シリーズは西部劇ばかりだった。今となっては信じられない。西部劇はいわば人種差別のような疑問符がつけられたジャンルになってしまった。でも西部劇に出演するのは素晴らしいと思う。」彼はモーテンセンに向かって言った。「このことを話し合ったことはなかったけれど、公言しておくよ。」

元の記事はこちらです。
https://www.thestar.com/entertainment/movies/2022/06/03/david-cronenberg-and-his-muse-viggo-mortensen-talk-crimes-of-the-future-and-living-in-the-present.html

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